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月刊がん もっといい日Web版

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『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
TEL.03-5688-7816
FAX.03-5688-7803




週刊がん もっといい日
2007年Vol.88
12月14日更新


Vol.88号の目次 『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道からのメッセージ

@統合医療最前線
催眠療法を用い潜在意識にアプローチしながら
がんと前向きに向き合うメンタル状態へ導く
取材協力:イーハトーヴクリニック 萩原 優院長


A連載
『命のともし火−家族に看取られた32歳のOL』
みゆき

Bがん患者さんからの投稿エッセイ
『さっちゃんのがん物語』
「がんは人生の軌道修正の切り札、
チャンスなのだから・・・」
───佐藤幸代
第9回目『ステージVの食道がん〜治療まで
・・・国立がんセンター入院から手術、そして生還・・・』

07年12月7日更新内容 全記事はこちら

「子供たちに多くのがん患者さんの生きる姿を伝えたい」
福岡在住の友村忠司さんの熱い思い入れを綴った連載開始のお知らせ

「私の願いは、自らがん患者として、教師として教室や学校の子供たちに、がんについて知ってもらいたいことと多くの患者さんの生きる姿を子供たちに伝え、触れさせることをとうして、命の不思議さ、豊かさ、死を感じ、知ってもらいたいことです。そして子供たちが、命の不思議さ、大切さに気づき自分だけでなく、友達の命も大切にして生きていってほしいということです。このような願いをがん患者として書いていきたいと思っています」
『週刊がん もっといい日』には、日々、がん患者さんや家族の方々から、お便りが届くことは本欄で何度も紹介しました。今回、巻頭に紹介したお便りは、福岡県在住の友村 忠司(ともむら ただし)さんからです。
友村さんは、子どもたちにも、がん患者さんの生きる姿を伝えていきたいと、小学校低学年用のがん教材『どうしてお母ちゃんのおっぱいは一つなの?』を書きました。友村さんご自身が教室に行き出張授業も予定しているそうです。

三月初旬、担任をしている小学校三年生の子供たちに午後の自習を伝えた後、あわただしく福岡県北九州市八幡西区の九州厚生年金病院に向かった。先日受診した大腸の検査結果を聞くためだ。
診察室では医師が数枚のエックス写真を見せながら言った。「直腸がんです」さらに続けた。「がんは進行性で、大きさと進度は一番高いレベル5です・・・

『週刊がん もっといい日』に届いた友村さんの原稿は、こうして始まります。次週(12月21日更新)に掲載いたします。
さて、今週もまた皆さまにとって『もっといい日』でありますように・・・。

『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道

☆☆☆「週刊がん もっといい日」VOL.88☆☆☆


萩原 優院長
統合医療最前線


催眠療法を用い
潜在意識にアプローチしながら
がんと前向きに向き合う
メンタル状態へ導く


取材協力:
イーハトーヴクリニック
萩原 優院長

<プロフィール>
萩原 優(はぎわら・まさる)広島大学医学部卒業後、東京女子医大外科で3年間医療錬士を経て、聖マリアンナ医科大学第一外科にて消化器外科、内視鏡的診断・治療、緩和医療に従事。第一外科講師、准教授を経て30年以上にわたり大学病院に勤務。平成17年に退職。2007年3月まで神奈川県にある「森の診療所」院長を務めた。10月にイーハトーヴクリニック開院。米国催眠士協会認定ヒプノセラピスト。

2007年10月、「心」と「精神」、「身体」のバランスを整えることでがんの症状改善を目指そうと、催眠療法を用いて治療を行う「イーハトーヴクリニック」が、横浜市青葉区にオープンしました。院長は、米国催眠士協会の認定資格をもち、統合医療に造詣の深い萩原優医師。同院では、具体的にどのような治療を行っていくのか伺いました。

2007年10月、「心」と「精神」、「身体」のバランスを整えることでがんの症状改善を目指そうと、催眠療法を用いて治療を行う「イーハトーヴクリニック」が、横浜市青葉区にオープンしました。院長は、米国催眠士協会の認定資格をもち、統合医療に造詣の深い萩原優医師。同院では、具体的にどのような治療を行っていくのか伺いました。


がんの発生原因となった
心の問題を探り出す

「がんの原因の一つとして、ストレスなどの心的要因が指摘されているように、患者さんをみていると、否定的な感情が自己免疫力を下げてしまい、腫瘍を大きくしてしまっていることが多く見受けられます。そこで当院では、心が肉体に影響を及ぼすことに注目し、催眠療法によりその原因を探りながら根本的な問題にアプローチすることで、症状改善に役立てることを目指しています」
 こう話す萩原院長が用いる「催眠療法」とは、意識の90%以上を占めている潜在意識と、顕在意識がつながった状態で行う心理療法を指します。医師の語りかけにより、患者さんの潜在意識にアプローチすることで、ストレスが生じた根本原因を探ろうというものです。
「がんに対する催眠療法は、アメリカでは行われていますが、日本では、ピンと来る人はそれほどいないでしょう。しかし、がんを作ったおおもとのストレスを探るためには有効的な方法で、催眠状態で年齢退行療法などを行っていくことで、これまで気づかなかったことが浮かんだり、思い出したりすることがあります。がんの発生と関係のある要因を掘り下げ、本人へ気づきを促すことで、現在の問題の解決や目的の達成につながる可能性があるのです」
 そうすることで、患者さんの身体にどのような効果をもたらすのでしょうか?
「たとえ解決には至らなくても、がんを作った心の原因を知ることで、人は自分の病気に納得することができ、より前向きに病気と向き合うことができます。これは大きなポイントで、自分で自分の体を治していこうという意識をもつことで免疫力が上がり、より治癒に向かいやすい状態へ心身ともに導くことができるのです。そのため、これはどの段階の患者さんでも治療対象になりえ、西洋医学と併用しても何ら問題のない療法といえるでしょう」
 治療というよりは、むしろカウンセリングに近い療法ですが、がんという病を受容し、患者さんが主体的に治療と向き合っていく、その過程を支援していくための補助療法と捉えることもできそうです。


「生命の自然法」に基づき
食事療法や腸内洗浄も導入予定


このほかイーハトーヴクリニックでは、自然食品の開発を手がける石井威氏が提唱する「生命の自然法」に沿った、身体にやさしい治療メニューを準備していく予定です。
「そもそもこの発想は、石井氏が、野生の動物には生活習慣病がないと気づいたことに端を発します。人間も哺乳動物であり、自然界の動物として、舐める(活性のある酵素)、排毒(下痢、嘔吐→毒素だし)、太陽に当たり休養する(遠赤外線の光線浴)ことが治療につながることに着目した療法です」
具体的には、(1)血行を良くして冷えを改善する(免疫力、自然治癒力を高める)(2)重金属・化学物質などの排泄(毒素を排出して原因物質の除去)(3)活性のある酵素の補給(加熱加工食品等による酵素不足を避ける)を三本柱としています。
萩原院長は、まず玄米菜食を中心とした「食事療法」や遠赤外線を利用した「温熱療法」、腸内洗浄による「デトックス療法」などから柔軟に取り入れていく予定です。
10月にオープンしたばかりのイーハトーヴクリニックですが、病気をみるのではなく、患者さんの全体を捉え、心と身体の両方へアプローチしていく萩原院長の視点は、今やQOL(生活の質)が求められるがん治療の過程において、不可欠なものとないえるでしょう。

■イーハトーヴクリニックの連絡先■

所在地:神奈川県横浜市青葉区美しが丘2-18-9 ニューライフビル202
TEL・FAX:045-902-7240(完全予約制)
URL:http://ihatovo-clinic.com/index.html



連載

『命のともし火−家族に看取られた32歳のOL』

私(筆者のみゆきさん)と一周忌の月に、
生まれ代わりのように誕生した新しい命
みゆき

1973年4月16日、女の子が誕生、山本陽子と名づけられた姉は、32年間、誰にでも好かれ、家族、友人たちに、素晴らしい笑顔を送り続けたのです。家族と暮らした楽しかった日々・・・。2006年2月28日、大好きな姉は永眠しました。そして2007年3月、一冊の本が完成しました。32歳で亡くなった大好きな姉のがん闘病記です。著者は、妹のみゆきさん。姉の素晴らしい笑顔と人生を綴った作品は、きっと多くの人たちの心に響いたことでしょう。『週刊がん もっといい日』編集部では、残された家族としての心境も織り交ぜて、みゆきさんに、いま改めて、がんとの闘かいの日々を振返り綴っていただきました。
「私は、姉の生涯と闘病生活を振り返り、当時の出来事を綴りました」−32歳で永眠した著者の姉のがんとの闘いの日々を克明に記した書『あなたの笑顔を忘れない』は、繊維形成性小細胞性腫瘍に侵された女性と家族との触れ合いが綴られています。 太陽のように輝いて周りを照らし、春の陽射しのように、周りを暖かく包み込むような元気な子どもに育って欲しいとの願いから、両親が名づけた名前が「陽子」(筆者の姉)。姉の誕生からの軌跡をたどりながら、楽しかった姉との思い出をふりかえる妹。 突然、「がんの可能性がある」と医師から告げられた姉からの連絡。そして宣告、手術、がんとの闘い・・・。やがて死。姉との別れ。娘に先立たれた母親の辛い心の胸の内。筆者は、克明につづります。「来世も、お姉ちゃんと姉妹になりたい」-かけがいのない姉を失った妹。そんな日々の思い出を一冊の本に記した本書。ぜひ手にとって、お読みください。新書判、本文128ページ。新風舎刊。1200円+税。


第1回目 『身内を失った家族の心境』


死の直後、家族はいつまでも離れたくないのに、
「もういいですか?」と語る看護師

 今年(2007年)8月に、奈良県で妊娠24週の妊婦が、病院をたらい回しにされ亡くなられたというニュースを見ました。やっと見つけた搬送先の病院に着いたとき、執刀医は、「なんとかして助けたい」とご主人に言葉をかけたそうです。
 願いはむなしく、新しい命と引き換えに、すぐに奥さまは息をひきとられてしまったようですが、そのご主人は、「精一杯、努力していただいた先生方に頭を下げた」と語っておられました。私は、そのニュ―スを見ていたとき、あの場面が自分の頭をよぎりました。
入院直後にベッドでVサインする姉

 姉が息を引き取ったとき、私たち家族は泣いていました。病棟には、たくさんの部屋があり、入院患者さんの方々が就寝していましたが、あのときは、まるで私たちしかいないかのように、大声で泣き叫び、溢れでてくる涙を、いつまでの止めることができませんでした。
 しかし病院側は、さすがに見慣れているようで、霊柩車の到着時間、着替え、鼻、両頬への綿詰め、死に化粧と30分を予定しているようで、いつまでも姉から離れようとしない父と私に、「もういいですか?」と看護師が慌しく動きだし、主治医も詰め所へ戻って書類作成を始めていました。
 姉と一緒に霊柩車に向かうとき、私は主治医、部長さん、看護師の前と通るとき、目を合わしていても頭は下げませんでした。最期の最期まで、病院側の対応に納得がいかなかったからです。
 一番前を歩いていた父は、・・・・・・1人ひとりに頭を下げ、主治医の先生には脱帽して、深々と頭を下げていました。会話はありませんでしたが、お互いの目を見てわかりあっているような感じを受けました。
 そのときの場面を思いだしていましたが、同じニュース内で、“なぜ,たらい回しの現状が起きるのか?”という質問に、ある医師が、「いきるか死ぬかフィフティフィフティの患者さんを、わざわざ受け入れたくなく、そんなリスクは背負いたくない」と語っていました。

家族が医療機関にのぞむことは
「目の前にいる患者の命を救いたい」と思ってくれる姿勢・・・


「目の前にいる患者の命を救いたい」と思ってくれる姿勢・・・
葬儀から数日が経過したある日、私は父に、「あのとき、なんで頭下げたん?」とたずねると、「治療に納得しているわけじゃないけれども、みんな末期がんの陽子をよく診てくれた。とくに主治医の先生は、初めて扱う病名に、何の治療法がいいのか調べ、勉強し、試し、一生懸命に頑張ってくださったやないか」と答えました。
 私が言いたいことは、病状が手遅れでも、家族・身内が見ているのは、「なんとしても、目の前にいる患者を助けたい、一人の命をすくいたい」と思ってくれている姿勢なのです。最終的に、残念な結果になったとしても、その姿勢に心を打たれ、感謝の気持ちが生まれると感じます。
大好きな姉の笑顔・・・

 姉の闘病生活を綴った書籍が完成したとき、父は完成本を私から受取り、そのまま姉がお世話になった病院に向かいました。主治医だった先生に、書籍手渡すためです。先生は、多忙を極めているにもかかわらず、すぐに書籍に目を通してくださったようです。
 先生が読んでいる間、父は廊下の椅子で、じっと待っていたと言います。読み終えて、父のもとに戻ってこられた先生の目は、当時のことを思いだされたのかもしれませんが・・・赤かったそうです。先生は、今年の3月末、その病院を辞められて、現在は兵庫県神戸市のほうで、産婦人科医としてご活躍されているようです。
姉の非常に稀だった病気、『繊維形成性小細胞性腫瘍』。姉が他界した後に、もう一度病理解剖をして調べられたようですが、やはりとても稀で、今まで経験したことがなく、参考例がなかったため、その先生は、論文としてレポートを作成し、学会で発表されるようです。来月、両親が、レポートを拝見しに病院を訪れる予定です。
父は、今でも、その先生に対して、“よく頑張っていただいた”と敬意を表し、母は今でも、姉の担当医だった部長先生に、婦人科の検査をお願いしてもらっています。
人の信頼関係は、一度築きあげると、なかなか崩れないような気がしますが、姉は、きっと天国から、"私の二の舞をつくらないように、医療の発展を願っている“と祈っているような気がします。




がん患者さんからの投稿エッセイ

『さっちゃんのがん物語』
「がんは人生の軌道修正の切り札、
チャンスなのだから・・・」
───佐藤幸代


佐藤幸代さん

四万十川ユースホステルの門(入り口)お客さんと記念写真

第9回目『ステージVの食道がん〜治療まで
・・・国立がんセンター入院から手術、そして生還・・・』

たった今、大幸先生と話をしていたと思っていたら、次の瞬間に、「佐藤さん、手術が終わりました!!喉は大丈夫ですよ」と告げられました。
7時間もの大手術が、自分にはほんの一瞬にしか感じられなかったのが、すごく不思議な気がしました。でも現実的に、次の瞬間には呼吸が苦しくて全身が痛く、「佐藤さん、大きく深呼吸して!!」のDrの声に導かれながら、必死で呼吸をしようとしていました。
(そうだ!腹式呼吸だった!)
体中が痛重苦しく、とくに呼吸がすごく苦しいのです。(神様!助けて!)
そのとき、妹と夫の顔が一瞬見えました。しかし、苦しくて目を開けられませんが(苦しい、苦しい!!)声はでます。
次に目を開けたとき、誰も居なかったらどうしょうという不安にかられ、「みっちゃん、敏夫さん」と妹と夫の名前を呼んでみました。苦しいけれども、声がだせることが本当に嬉しかったのです。
それからICUの天井を見つめながら、ずっと長い時間、苦しさに忍えていました。術後の鎮痛のために、麻酔専門のDrが頻回に様子を見に来てくれては、硬膜外留置カテーテルから鎮痛薬を入れてくれました。そのお陰で、このときは、激痛は無く、重苦しい感覚のみでおさまっていました。

(妹の旦那さんが撮ってくれたビデオの静止画)「術後直後の様子」

(ビデオの静止画)
「術後2日目歩行練習」

(ビデオの静止画)
「寒咲き水仙の香りに元気づけられて」

(ビデオの静止画)
「術後初めての食事」
 手術の翌日には、早くも離床の練習、起き上がって立つことを朝、夕2回行いました。2回目は体重計に乗ったり、足踏み30回やったりもしました。
 食道がんの手術後2〜3日は、痰がたくさんでて、痰をださないと肺炎という重篤な合併症を引き起こす原因となるため、気管支ファイバーという、内視鏡的な管を挿入して痰を取る処置をしなければなりません。
 これを経験した患者は、口を揃えて「二度と嫌だ」と言うくらい、苦しい処置なのです。処置を行う前に、Drが「気管支ファイバーは、けっこう苦しいものですが、これで痰を取っておかないと肺炎になってしまいますから、頑張りましょう。」と言いました。
 処置が始まり気管に管が入ると、異物反射で咳や嘔吐となり、ゲェゲェ、ゲホゲホ・・・・それに伴って、手術の傷口に激痛が走り、涙をポロポロ流して苦しみに耐えなければなりませんでした。
 この処置は、朝夕2回ずつを2〜3日にわたって行われるのですが、喫煙者など痰が多くでる人は、計6回位行われます。私の場合は、タバコを吸わないので3回で済みました。また2回目からは、苦しみを軽くするためのコツをつかむことができました。
 コツは簡単。受け入れる姿勢で臨むことです。初めに喉、または鼻の奥にキシロカインスプレー(局所麻酔)を噴霧されます。この時点で、深呼吸しながらリラックスするよう努めます。
 いざ管が挿入されるときも、大きく息を吸うように、思い切り喉を開くようにすると、異物反射が起きにくいので、苦しくないのです。 「何でも来い!」と、すべてを積極的に受け入れる気持ちが大切です。
 術後2日目(3/15)には、ICUから病棟に帰り、歩行練習が始まりました。術後3日目(3/16)でドレーン、胃管が抜けて随分すっきりしました。ここまでは順調だったのですが、術後4日目(3/17)からは、硬膜外麻酔による術後鎮痛が終わり、体の反応が戻ってきたため、かなりの激痛が長時間続くようになりました。
他の痛み止めの薬は、どれも効かなくなってしまったのです。それからしばらくは、地獄のような苦しみに忍えなければなりませんでした。ベッドの上でうずくまり、涙をポロポロこぼしながら痛みに耐えました。でもどんなに痛くても、喉が助かって声がだせるという喜びが、心の大きな支えとなっていました。
術後5日目(3/18)。モルヒネを含む坐薬で痛みがやっと治まり、尿管も抜けました。
お蔭で、トイレに行けるようになりました。


☆手術創部の痛みについて
モルヒネ入りの鎮痛坐薬も、効くのは3〜4時間です。それも間を6時間は空けないといけないし、鎮痛薬は投薬してから30〜40分で効いてくるので、2〜3時間以上は痛みと格闘しなければなりません。
 痛み止めの薬が切れてくると、腹部の中心、右脇腹、背中、首等切った所が全部一度にひきつれた様な強い痛みに襲われます。それは鉄の鎧を被せられて、じりじりと熱を加えられ、火傷をしながら締め付けられる様な痛さです。それに加え、動悸と呼吸困難を伴い、全身がどうしょうもなく、息苦しくなるのです。呼吸は、ハァッハァッハァッ!という感じで浅く小さく小刻みになります。
こうなってくると、もう身の置き所がなくなり、姿勢が固定されてどうにもならなくなってしまうのです。毎回痛みのピークときには、右手で左腕を引きちぎらんばかりに抓ったり引っ掻いたりしながら痛みに堪えていました。
 薬が効いてくると、まず呼吸が楽になってきます。少しずつ深呼吸ができるようになり、動悸はなくなり、同時にひきつれた痛みも和らぎ、体が動かせるようになります。私が形振り構わず痛みと格闘していて、ふと気がつくと、ベットサイドで、辛そうに私の顔をのぞき込む夫の姿が目に入りました。
 実際に苦しんでいる本人よりも、苦しんでいる相手を傍らで見ている方が、辛いかも知れないと思い、夫には高知に帰って貰うように頼みました。
 ちょうど痛みが少し楽になった頃から、ユースの常連のお客さんや親戚の人達が、またお見舞いに来てくれるようになりました。
 夫は3/19の夜行バスで、四国へ帰りました。そして術後1週間目(3/20)は、抜糸の日。
首、背中、腹とホチキスの針のようなものがしっかりついていましたが、これが抜けてひきつれた違和感が無くなりました。
 抜糸が済んで、その午後には喉のなかがしっかり着いているかどうか、造影検査で確認後、飲水の許可をもらうこともできました。さっそく売店でペットボトル500mlを買い、水を飲む練習をしました。
500mlの天然水を、半日かけてゆっくり飲みましたが、1週間ぶりに飲む水は、甘くて美味しく、砂地に水が染みこむが如く、喉からジンワリと浸透して腸に達し、腸がビックリしてうごめくのを感じました。
 その夜は、造影剤と下痢のせいで、夜中に腹痛と下痢が頻回あって、ほとんど眠れませんでした。夜が明けても腹痛が続いて苦しかったのですが、トイレからベッドに戻るたびに、サイドテーブルには、夫がプレゼントしてくれた寒咲き水仙の白い小さな花が、いつも良い香りを放っていて、喉を切ったら声を失うだけでなく、嗅覚も失なわれるのだということを思い出しては、再び花の香りを、楽しむことができる幸せをかみしめて、どんなに辛くても痛くても、我慢しょうと思えるのでした。



☆ダンピング症候群☆

手術後8日目(2006年3月22日)の朝から食事が出ました。術前の絶食も入れれば、10日ぶりの食事となります。初めての食事は、みそ汁の汁だけ1/2、三分がゆ1/2、春菊のすりつぶしたお浸し少量、豆腐1/6。
最初のみそ汁1口で、急に心拍数が上がり、軽く汗ばむ反応がありました。あとはゆっくり1時間半かけて体の反応を見ながら食事をしました。
 最初の朝食、昼食までは何とか食べられていましたが、夕食の直前に異物反射でしばらく咳込んでいたら、胃液を噴水の様に咳と一緒にゴホッと吐いてしまい、タオルケットを汚してしまいました。
咳込むと、お腹の傷にひびいて痛いだけでなく、胃が収縮してつった様な激しい痛みがしばらく続きます。昼食のときの、おかゆの粒がいつまでも喉にひっかかっていたのが、異物反射を引き起こしたようでした。お陰でその日の夕食は、恐くてはしがつけられませんでした。
  翌朝は、やっと下痢が治ってきたと思ったら、前日の延長で朝食が配膳されると、食べようとしただけで、冷や汗がでて気持ち悪くなってしまいました。吐き気がひどくて、ベッドにうずくまり、何も手につかないのです。
午前中に吐気止めの坐薬をもらいましたが、あまり効きが目なく、1日中食事はおろか、水を飲むことさえもできなくなってしまいました。そして体重は48kgから47kgに減ってしまいました。
 西澤Drの説明によると、たぶん胃から腸へ食物が流れていく途中、どこかで通りにくくなってしまい、食物が帯流して胃液が上がってムカムカ嘔気がするのだろうと言われました。
西澤Dr「食べられなくなる時期があるものだから、大丈夫です。食物が通りやすくするためのお薬を出しますから水分は摂って、薬を飲んでみて下さい」
 何故かDrの説明を受けただけで、不思議な位ホッと安心出来て、焦らず頑張ろうという気持ちになれました。考えてみれば、胃がそのまま食道のかわりをしているのだから、食べ物のにおいをかけば、胃が収縮して生つばが出るし、口に近い所に胃があるのだから、当然かも知れません。少しずつ慣れて行くしかないのです。

(つづく)

☆☆☆四万十川ユースホステルから(の呼びかけ)☆☆☆

年末年始スペシャルカヌーツーリング
(2007年12/29〜2008年1/3迄の5泊6日)


 このイベントのテーマは『 ONE 』、コンセプトは「一体感」「空と山と風と水と、そしてみんなと1つになる」です!
2007年末カヌー納めと、2008年新春初カヌー、2年にまた掛けてカヌー三昧!皆さんの思い思いのテーマを胸に秘め、四万十川を一緒に太平洋まで漕ぎ出してみませんか?
 四万十川中流域のYH前から四万十市中村の河口〜太平洋までの約40Kmを4日間10km平均でカヌー川下りします。

 宿泊はすべて四万十川YHの為、行き帰りは車で移動します。
元旦は、夜明から出発して初日の出のご来光をカヌーの上から拝みます!大感動!
最終日の太平洋は、素晴らしい達成感!そしてメンバー同士の連帯感!四万十川YH恒例の大イベントにあなたも参加してみませんか?


<詳細はこちらを>!↓
http://www.gallery.ne.jp/~yh40010/ご欄ください。

■四万十川ユースホステルへようこそ!
http://www.gallery.ne.jp/
~yh40010/canueh.html


■佐藤幸代さんのブログURL
http://shimantoyh.seesaa.net/

(去年の写真)「年末年始スペシャルカヌーツーリングスタート!」

(去年の写真)「朝霧の中に浮かぶ日の出」

(去年の写真)「太平洋をバックに!」
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