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『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
TEL.03-5688-7816
FAX.03-5688-7803

週刊がん もっといい日
2006年Vol.14
6月23日更新


6月16日更新内容 全記事はこちら

☆☆☆「週刊がん もっといい日」VOL.14☆☆☆


(プロフィール)
かとう・はるよ
1966年生まれ。群馬県太田市在住。多摩美術大学美術学部芸術学科卒業後、スチールカメラマンのアシスタントを経験。劇団黒テントに2年間在籍後、母親の発病で帰郷。

ここにこの人

「最期まで楽しみながら人生を生き抜いた母。
だからこそ、死んだということよりも、
頑張って生きたことを多くの人々に
観ていただきたい」


骨髄異形成症候群に侵された母親を撮り続けた
ドキュメンタリー映画『チーズとうじ虫』の監督、加藤治代さん


 病気の母親を撮りつづけたドキュメンタリー映画『チーズとうじ虫』が、話題を呼んでいます。骨髄異形成症候群に侵され、医師から「余命1〜2年」と告げられた母親を、実の娘が看護の傍ら数年間かけて撮った作品です。母親への愛に柔らかく包まれた本作品は、個人的な映像にもかかわらず、家族や死について考えさせられる普遍的な内容が称賛され、2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭小川紳介賞・国際映画批評家連盟賞、フランス・ナント三大陸映画祭ドキュメンタリー部門最高賞を受賞しました。監督は、娘の加藤治代さん。ありったけのエネルギーを注ぎ7年間も生き続けた母親の姿を、一コマ一コマていねいに撮影してきた治代さんから、がん患者さんやご家族に向けたメッセージをお届けしましょう。


治るという奇跡を信じ
明るい映像を撮ろうと思った 


今から10年前、母親の直美さんは骨髄異形成症候群と診断され、「余命1〜2年」と医師から宣告されました。
再発を繰り返す母親の姿に、動揺する日々。「ところが発病から3年経ったときに、母親がみるみる元気になったのです。その様子を見ていて、もしかしたら奇跡的に治るかもしれない」と思うようになった治代さん。
かとう・はるよさんのおばあちゃん

「母親が病気と分かってからは、泣いてばかりいた」と、加藤治代さんは振り返りま
「元気な母の姿を見せることで、同じ病気で苦しむ人たちの支えになれば・・・」。そんな希望に満ちた思いから、大学で映画の勉強していた治代さんが、無邪気に母親にレンズを向け始めたのは、母親の発病から3年目、
「自分が辛い思いをしているからでしょう。決して弱音を吐かない強い母だった」と、治代さんは語ります。
直美さんは、治代さんが2歳のときに、ご主人を直腸がんで亡くされました。残された子どもを育てるため、夜間の大学院に通い教員免許を取得し、治代さんとご長男を女手一つで育て上げてきたのです。
父親をがんで亡くしたこともあって、治代さんは小さいころから母親を強く慕ってきました。成人してからも、嫌なことがあると、母親の顔を見に、いつも家に帰ってきていた治代さんは、母親が、がんと宣告されてからは、看病のために帰省し母親に寄り添ってきました。
映像を撮り始めた当初は、慣れない恥ずかしさから、嫌がっていた直美さんでしたが、「同じ病気の人が元気になれるような作品にするんだからね」という治代さんの想いに応えるかのように、次第に明るく、ときには、おどけた表情をカメラに向けるようになりました。煮物を作ったり、三味線の練習をしたり、畑を耕したり、直美さんの母親で治代さんの祖母の姿も加わり、女性3人の何気ない日常の姿・・・。治代さんの目に映った一コマ一コマが、レンズに焼き付けられました。
 母親と祖母との何気ない会話、そこに治代さんが加わって弾む会話と笑い声。治代さん監督の作品からは、生きる喜びに溢れる家庭の息遣い、暖かい陽だまりが感じられます。

ドキュメンタリー映画
『チーズとうじ虫』の母娘
日常のなかに溶け込んだ
加藤家の小さな縁

「うじ虫には、小さな“縁”のようなものを感じました。母が野菜を作って、調理して、食べて、その残飯を畑に持っていく。そこから、うじ虫が湧いて、次の野菜の肥料になる。この縁を大事にすることが、きっと母の体にも良いことなんだと思い、撮影しました」

そして治代さんが、うじ虫を撮っていた折に、母親と訪れた図書館で目にした本が、カルロ・ギンズブルグ著の『チーズとうじ虫』でした。治代さんは直感で、タイトルに決めたのです。
「母親に言ったら、とても嫌そうな顔をしていましたけど・・・」
 大好きな母親と祖母との日々の触れ合い。「奇跡を映したい」と撮り始めた治代さん。結果的には母の死を、祖母にとっては娘の死を納めることになりました。
作品の終焉は、床の間に安置された直美さんのご遺体と、うじ虫の映像が重なるように映し出されます。
「母の死は確かに悲しいですが、もっと大きな視点からみると、死ぬのは人の営みとして自然なこと。うじ虫が肥料になって次の野菜の栄養になるように、母の死も次につながるものであってほしかった」と、治代さんは映像に込めた思いを語ります。でも治代さんは、この作品を、母親の死ばかりをクローズ・アップするつもりはありません。
「母は亡くなりましたが、最期まで楽しみながら人生を生き抜きました。母は負けなかった。だから、死んだということよりも、がんばって生きたというところを多くの観てもらいたい」。治代さんは、闘病中の人たちと家族に向けて、こうメッセージを送ります。

大切な人との限りある時間を
大事に過ごしてほしい

「せっかく生きているのだから、その間は楽しい思い出をいっぱい作りたい」と母親の直美さんは、作品中で娘の治代さんに語っています。その言葉どおり、直美さんは、愛する家族や孫に囲まれ、大好きな油絵に没頭し、朗らかに毎日を送っていました。
「この明るさが、持っても2年と言われていたにもかかわらず、結果的に7年も生かせてくれた」と、治代さんは確信しています。
「家族でも夫婦でも、大切な人と一緒にいられる時間には限りがあります。どんなに今は元気でも、離れるときがやってくる。だから、大切な人といる時間はなるべく大事にしてほしい。その思い出があれば、残された人は、その後も幸せに生きていけるものです」
現在、治代さんは、世界各地から映画祭の招待状が届き、受賞前には想像もつかないような忙しい日々を送っています。
「きっと母が、いろんな人に会いなさい、いろんなところに行きなさいと言ってくれてるのかな」
治代さんは、母親との目に見えない繋がりを強く感じながら、次回作への意欲を高めています。

■『チーズとうじ虫』メモ■
監督:加藤治代
撮影:加藤治代・加藤直美・栗田昌徳・中嶋憲夫
整音:菊池信之・早川一馬・久世圭子
編曲:須賀大
出演:加藤直美・小林ふく他
配給:「チーズとうじ虫」上映委員会
(2005年/日本/98分/カラー/DV)
●劇場公開:7月8日より
●上映場所:レポレ東中野(東京都中野区:TEL03‐3371‐0088)
●上映時間:AM10時30分/21時10分
作品の詳細はURL:www.chee-uji.com





ヤンセンファーマ
代表取締役社長の関口 康さん

がん医療に挑む企業

「一人でも多くのがん患者さんの痛みを緩和する
お役に立てることができたならば・・・」

がんの緩和医療に取り組むヤンセンファーマ
代表取締役社長の関口 康さん


がんの緩和医療の重要性が、指摘されています。想像を絶するほどの痛みを緩和するには、従来からモルヒネの注射や服み薬が使用されてきました。ところが痛みさえ取れれば、病院から自宅に戻る家族とともに暮らすことができるだけでなく、職場への復帰も可能になり、治療意欲も沸き延命にも結びつくとして、近年、貼付剤タイプの合成麻薬の需要が急速に高まっています。がんに対する緩和医療の普及活動に取り組む製薬企業、ヤンセンファーマ株式会社の代表取締役社長である関口 康さんに、痛みに対する企業としての取り組みをお聞きしました。

■緩和医療の意義について

-―― がん患者さんが不安に感じていることの一つに再発・転移がありますが、かたわら痛みに関しても、いつ痛みはじまるのだろうかと、とても恐れています。近年では、緩和医療は、がんと宣告されたときから始まるとの指摘がありますように、身体的な痛みと同時に、心の痛みもケアしなければならない時代。今回国会を通過した「がん法案」には、緩和医療が盛り込まれましたが、緩和医療については、どのように受け止めておられますか。
関口 日本は諸外国に比べて、どちらかといえば痛みに対しては後進国。がんによる痛みをコントロールすることができなければ、確実に患者さんの体力は消耗し、QOL(生活の質)は下がってしまいます。しかし痛みさえ緩和することができれば、積極的にがん治療に挑むこともできるし、社会復帰し仕事に就くことも可能になります。病院から在宅に戻り家族と一緒に暮らすこともできる。終末期にあっては残り少ない人生を有意義に過ごすこともできるし、間接的に延命効果だってあると思います。
―― そういえばヤンセンファーマは、早くから緩和医療に対する薬剤の普及活動に乗り出しています。どのような経緯で取り組まれたのでしょうか。
 関口 ヤンセンファーマは、ヘルスケアカンパニーのJ&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)の子会社の一つで、医薬品を中心とした事業展開を進めています。なかでも大きな柱の一つが、貼付タイプの経皮吸収型がん疼痛治療剤で、患者さんの痛みの緩和に貢献してきました。 
その薬剤に使用されている「フェンタニル」(強オピオイド鎮痛薬)という鎮痛性合成麻薬を開発したのが、ポール・ヤンセン博士(ヤンセンファーマの前身、ベルギーヤンセン・ファーマスーティカ社の創始者)です。この薬剤に注目した米国アルザ社によって、貼付タイプに製剤化されました。その後、ヤンセンが臨床を開始し、当初はアメリカで、そして日本では、2002年3月から『デュロテップパッチ』とネーミングされて普及が始まったのです。ですから、緩和ケアに取り組むのは当社の使命なのですね。
■患者さんと家族から医療者側へ
痛みを伝える啓蒙活動を開始

―― どのような特徴を持ち、患者さんの疼痛管理に役立ってきているのでしょうか。
 関口 これまで使用されてきたモルヒネよりも優れた鎮痛効果があるうえに、吐き気や便秘といった副作用が少ないのが特徴です。普及を開始した2002年当初は、70〜80%の医師が一度は使用してくれるものの、継続使用は少なく、思ったほど需要は増えませんでした。といいますのは、疼痛管理として、最後の最後、ほかに使用する薬剤がなくなって初めて使用されるケースが多かったからです。ただ医療機関に対する正しい使い方の情報伝達を徹底的に行ったこと、鎮痛効果の強さに加え、1回の貼付で3日間の鎮痛効果が持続するため投薬管理が容易なこと、そして近年、緩和ケア、在宅医療への社会的関心の高まりを背景に、患者さんや家族のQOL向上につながる薬剤としての評価が広く浸透し、需要が急増しました。

 ―― 医療機関への普及啓蒙活動は当然のことながら、もう一歩進めて緩和医療に対する啓蒙、患者さんと家族だけでなく一般大衆にも、情報として提供しなければならないと思いますが・・・。
 関口 もちろん緩和医療について、もっと一般大衆の皆さまに知っていただかなければならないと思っています。その一つですが、慶応義塾大学医学部外科学教授の北島雅喜先生にご監修をいただいて、「伝えてください。あなたの痛み」をスローガンとしたポスターを作製しました。がん患者さんや家族の方々が、主治医の先生だけでなく看護師や薬剤師の方々にも、痛みを伝えて欲しいと思います。ポスターには、がんの痛みに関する詳しい情報が見ることができる「がんの痛みネット」(http://www.itaminai.net)を立ち上げてありますので、ぜひご覧ください。
痛みに悩んでいるがん患者さんやご家族の方々が、ポスターを見ることによって、ご相談していただくきっかけづくりになっていただければと思っております。

■痛みの評価シートを盛り込んだ小冊子を作成、配布へ

―― 一般大衆への啓蒙活動の第二弾は、もう考えられていますか。
関口 ポスターは病院の待合室などに掲出していただくわけですが、第二弾に予定しておりますのは、痛みの評価シートのようなものを盛り込んだ小冊子を作成します。多分7月にはでることでしょうが、私たちは患者さんとご家族の方々が、痛みを医療者側に伝えていただくよう、さらに啓蒙活動を進めていきます。
―― ところで知名度がアップして需要が増加している『デュロテップパッチ』ですが、
新しい製品の開発が進んでいるお聞きしていますが・・・。
 関口 新しい製品は、フェンタニルを粘着層に分散させたマトリックスタイプの貼付剤で、『デュロテップパッチ』より薄くてサイズは小さい。『デュロテップパッチ』と同様に、1回の貼付で3日間にわたる鎮痛効果が期待できるうえ、『デュロテップパッチ』には無い低用量製剤を有しているため、医療現場からのニーズが高い「低用量」からの導入が可能となるほか、用量調整が容易になるなどのメリットが期待されています。現在、がん性疼痛を予定適応として厚生労働省に申請ですし、非がん性の慢性疼痛を予定適応とした開発も急ピッチで進めています。製品名は、「デュロテップ・マトリクス」の予定です。
 -―― 緩和医療は、ますます重視されていくことは間違いないでしょう。ただ日本の場合、緩和医療と言うと、即終末期医療(ターミナルケ)と受け止められるケースが少なくありません。緩和医療とは、終焉を迎えた時に行うというよりは、むしろ生きるためのものでもあると思います。社会復帰、自宅に戻り療養する、より前向きに治療する。近年では、緩和医療の定義は、がんと宣告されたときから始まるというようになってきています。
関口 私事で恐縮ですが、実は私の周辺に、がんで身内を亡くされた方がいましたが、痛みに苦しみ、モルヒネの副作用に苦しんだケースがあります。私自身は、痛みをもっとコントロールできたならば、と常々思っていました。一人でも多くのがん患者さんの痛みを緩和するお役に立てることができたならば・・・。それが製薬企業の役割だと思います。
(聞き手:ジャーナリスト・旭 輝夫)


■ヤンセンファーマ株式会社概要■
1978年、J&Jと協和発酵工業鰍フ合弁企業「ヤンセン協和」として設立。1988年に第一号開発製品である駆虫剤「メベンダゾール」を上市後、これまでに経口抗真菌剤「イトリゾール」、抗精神病剤「リスパダール」、経皮吸収型がん疼痛治療剤『デュロテップパッチ』などを相次ぎ導入。2001年には、ジョンソン・エンド・ジョンソン全額出資法人へと移行した。従業員数1,379名、売上838億円(いずれも2005年末)。2006年度、売上1,000億達成を目標に、中枢神経系、真菌症、鎮痛・麻酔、がんの4領域に注力中。
URL:http://www.janssen.co.jp/inforest/public/home/
痛みネット:http://www.itaminai.net




連載

『Revital(蘇り)―生死をさまよい生還した
“平成の一休さん”闘病記』

第3回「なんとしても生き延びたい。
だからこそいろいろと試して欲しい」

痛みと苦しみとの闘かいの真っ最中に“サリン事件”は発生した

私が入院した平成7年3月13日から1週間後の3月20日。前代未聞の“サリン事件”が発生しました。私は面会謝絶。個室で「痛みと苦しみ」と闘っていたときです。
その日、早朝から不思議と穏やかでした。しかし出勤時間帯になって、急に外が騒がしくなったのです。上空で何十機ものヘリコプターが旋回し、救急車が狂ったようにサイレンを鳴らし街中を走り回る音・・・。
「何やら、とてつもない大事件」が発生したことは、ベッドで薄々感じ取れました。確かに、普通とは違う異変でした。ナースセンターは空っぽ。外は騒がしい。しばらくすると、担当看護師さんが部屋に飛び込んできて、「医師と看護師全員召集がかかりましたので、しばらくきませんから・・・」。
騒ぎは、ますます大きくなるばかり。患者さんの一人が、携帯テレビを持って来てくれました。画面には凄惨な光景が映し出され、やがて現場の霞ヶ関駅から東京慈恵会医科大学病院へ被害者が救急車で続々と搬送され、たちまち病院の1階フロアは満杯状態、。
「西宮さん、いま非常事態なんです。先生方も看護師も対応に追われて手が足りない状態なの。ですから、もうしばらく病棟は留守にしますから・・・」と言い残して、担当看護師は再び現場へ戻って行きました。
現場は、サリンを吸い込み倒れたサラリ−マンやOLたちで埋め尽くされ、まさに修羅場と化していました。総動員で対応にあたる、東京慈恵会医科大学病院の医師と看護師。
「頑張って!頑張って!助けて上げてくださいね」と、私は神さまに祈ることしかできませんでしたが、ふと気がつくと、今まで苦悶していた私の痛みは、その時間帯だけは、なぜか吹き飛んでいたのです。
やがて夜遅く、現場周辺は一応の落ち着きを見せはじめ、病院内にも安堵の空気が流れました。私は、この日、医療関係者の使命感が、いかに強いか身に沁みて判りました。必死に被害者の救済にあたる医療関係者の姿を見て、「このような人たちに看護をしていただいていることに、もっと感謝しなければ・・・」と思った次第です。

■医師の一言から“死”を悟りながらも“生”へ挑戦した

サリン事件の報道は、全世界に発信されました。この報道を聞き、親友のメアリーがイタリヤから飛んできてくれました。でもこのとき、私はまだ「面会謝絶」で、外部の人と面会できない状態だったのです。
彼女は、13歳のときに、女子体操の元ヨーロッパチャンピオンという経歴の持ち主で、世界的に有名なルーマニアの“白い妖精”と言われたコマネチとはライバル関係でした。
病棟に来た彼女は、さっそく医師に私との面会を要求しましたが、「外部の人との面会は感染の恐れがあるから・・・」と英語で拒絶されたメアリーは、だんだんと早口になり、二人の会話はますますできなくなるばかり。
数分のやりとりの後、言葉が通じず困り果てた医師は、思わず日本語で「西宮さんは、いま生きるか死ぬかの瀬戸際です。だから部屋には入れないのですよ」と、つい本音を喋ってしまったのです。
「私は、日本の言葉は判るのよ。判ったわ。落ち着いてから、また出直します」
メアリーは、数日後、私が一命をとりとめて大部屋に戻ったことを確認し、病院に来てくれましたが、私は、メアリーと医師とのやりとりを聞いていて、「あっ、やはり自分は死ぬのか」と覚悟しました。二人の会話から、「死刑宣告」⇒「余命なし」と受け取ってしまったからでした。「やっぱり、自分は死を待つばかりなのだなあ」
死を感じ取ったとき、人は「もうだめだ」と諦めてしまうのか、それとも「まだまだ自分は死ねない。ならば生に挑戦しようじゃないか」と開き直るか。「なんとしても生き続けたい」私は、後者を選択しました。

■ダンピングや食欲不振、血糖値の急降下による意識障害で体重が著しく減少

2回目の入院は、同年6月。胃切除を受けた患者さんの食後に起こる心窩部膨満感・圧迫感、悪心・嘔吐といったダンピングや食欲不振で、体重が著しく減少したからです。
「ひどい傷ですね、まだ全然回復していないではないですか。どうして、もっと入院していなかったのですか。この傷の状態では、とても自分の体を管理するには負担が重過ぎますよ」
担当看護師が忠告してくれましたが、少し状態が良くなって退院したのもつかの間、2月後、今度はダンピングや血糖値の急降下(20位)による意識障害、食べたものが胃から落ちないために体重が38kgに激減し3回目の入院。
最初はハイカロリーの栄養点滴が中心に行われましたが、疑問を感じたので私から担当医にこう提案しました。
「今までの経過を辿ってみると、ハイカロリーで点滴をすれば、ある程度の体重回復はできますが決め手に欠けるのではないでしょうか。なぜならば、ハイカロリーで増加した体重は、退院すると1週間も経たないうちに36kg台の体重に戻ってしまいます。何か改善方法はないのでしょうか」
そこで私は、“腸ろうへの点滴”を申し入れました。
「うーん下痢するからな。それに鼻から細いチュウブを入れると、患者さんは苦しいでしょ。だから踏み切れないでいるんです」


■声がでずに声帯手術、そして幽門整形の手術で8回目の入院

そこで再度提案しました、
「4月に入院した際に、下痢を起こしにくい腸ろう点滴“ツインライン”というのが開発されているが、厚生省の認可をまだ受けていないで使える機会をうかがっている、と聞きました」
「判りました。チュウブを鼻から入れて、ツインラインを2週間程度落としてみましょうと」と実験したところ、ハイカロリー栄養点滴を落とさなくも、体重は増加し下痢も激減したので、チュウブを外していただき退院しました。
「なんとしても生き延びたい。だからいろいろろと試して欲しい」そう願っての、医師への提案でした。
4回目の入院は同年12月。理由は、体重が減少したので、前回の処方で何とか切り抜けましたが、あらたな問題が発生しかかっていたのです。“声が出ない”のです。
5・6・7回目は、平成8年2月、3月、4月と連続入院。耳鼻咽喉科で、声帯手術をして、再び声を取り戻したのです。モニターで声帯を見たら、中心部分がR上に湾曲して声を出すと抜ける状態だったそうです。
同年8月、幽門整形の手術で8回目の入院。どうしても、食べたものが落ちないからでした。その際、万一を考えて医師が、一番細いチュウブを十二指腸にセットして置いてくれたことが、その後の好転のキッカケになったのです。
発症してから1年5か月の間に、8回の入院。何度もくじけそうになりましたが、それでも頑張りとおすことができたのは、“生へのあくなき挑戦心”があったからです。(西宮春雄)

"平成の一休さん"のE-mail :ikkyuu@sky.biglobe.ne.jp
"平成の一休さん"のホームページ:http://www.ikkyuu.net/



編集部がお勧めのホームページ

「がん相談外来」のあるクリニックのサイト

http://www.mizuki-clinic.org

がん患者さん、がんの不安がある健常者の方々が気軽にアクセスでき、大学病院等の中核医療機関、地域診療所をつなぐ、 がん医療のハブ拠点としての機能を備えることを目的とした「がん相談外来」のある、みずきクリニックの紹介ページ。
地域の基幹病院に勤務する複数の医師とともに診療を行う完全予約制で、待たせることもなく、「がんが心配だけど、どこに行けばよいか分からない」「治療を終えて数年経つが、再発していないか不安」といった悩みや心配を持つ方々の、さまざまな相談に応じてくれます。


統合医療情報誌の紹介

NPO免疫療法懇談会が
統合医療を推進するための季刊情報誌を発刊



ガンワクチン療法を受けている患者さんを中心とし、北海道から九州まで40の支部が活動しているNPO免疫療法懇談会が、このほど統合医療を推進するための季刊情報誌『命のチカラ』(夏号)を発刊しました。
 同法人は、ホリスティック(心身総合的な)で統合的(西洋近代医学と東洋伝統医療をうまく補完・統合する)な医療について、医療や心の専門家たちと懇談しながら患者さん自身に、自分に最適な治療を自ら選び取り、患者さんや家族が支えあい励ましあう情報交換の場として活動を展開してきています。
 発刊された季刊情報誌は、本文16Pオールカラー(サイズ:変形B5判)。最近、D-フラクションの臨床を開始したニューヨークのスローン・ケタリング記念がんセンターの統合医療事業部長で薬学博士のバリーR・キャサレス薬学博士と東京の九段クリニック理事長の阿部博幸医師、免疫療法懇談会の理事長、酒生文弥氏との鼎談『日米の統合医療の今とこれから』に始まり、「健康ライフ・自然の恵み」欄では、神戸薬科大学大学院医療薬科学科微生物科学講座の教授、難波宏彰氏は「まいたけ」について語っています。
 ルポ記事では、“健康長寿日本一”を目指し、がん対策にも乗り出している福井県を取り上げ、「心の健康」ページは近年、クローズ・アップされている「セロトニン神経」について東邦大学医学統合生理学教室教授の有田秀穂氏が取材に応じています。
「がんとともに生きる」欄では、話題の「ハスミワクチン」を取り上げ、実際に「ハスミワクチン」でがん治療を受けた患者さんと治療をした珠光診療所(東京都杉並区)を紹介しています。
「ハスミワクチン」を取り入れ治療する珠光診療所の橘高祥次院長によれば、1990年〜98年の9年間で、「ハスミワクチン」使用者429例から病期分類がなされている52例を対象とした直腸がんの五年生存率は、病状がI〜IIIの段階の患者さんでは100%を示していました。
ちななみ季刊情報誌『命のチカラ』は、年4回発行。1冊定価は、300円(税込み)で、年間購読の場合は1200円(送料込み)。
同誌の申し込み、問い合わせ先はNPO免疫療法懇談会(東京都港区虎ノ門1-5-11虎ノ門林ビル5F:TEL03-3591-2727)。URL:http://www.wis-j.org
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