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『週刊がん もっといい日』編集部(株式会社日本医療情報出版)
TEL.03-5688-7816
FAX.03-5688-7803



      

  

週刊がん もっといい日
2016年Vol.477
5月20日

Vol.477の目次 『週刊がん もっといい日』編集部 山本武道からのメッセージ

クローズ・アップ
6割近くが健康に不安を感じ、「「疲れやすい」「肩・首こりがひどい」「体がだるい、重い」など5人に1人が生活習慣病で医療機関に通院
調剤チェーンの日本調剤が『ビジネスパーソンの健康に関する意識調査』



今週のニュース

イベント・セミナーのお知らせ



『週刊がん もっといい日』のすすめシリーズ
●生きるための緩和ケア最前線
  ◇第1弾:『痛みからの解放』
  ◇第2弾:『“がん治療と積極的疼痛管理”のすすめ』
●ピロリ菌対策シリーズ
  ピロリ菌の早期発見・早期除菌による胃がん予防キャンペーン
●未承認抗がん剤問題を追う
  もう治療法がないといわれた再発進行がんの未承認抗がん剤という選択肢
●乳がん闘病中のジャーナリスト・レポート
  がん患者さんのための免疫とがん講座

16年05月05日更新内容の前記事はこちら

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がん情報サイト「週刊がん もっといい日」は、がんの予防、治療、再発防止に役立つ情報を、毎週1回、お届けしております。更新は、毎週木曜日です。

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セルフメディケーション税制(医療費控除の特例)、
平成29年1月1日以降からスイッチOTC医薬品を対象にスタート


  昨日、薬局やドラッグストアで販売される医薬品製造メーカーで組織される日本OTC医薬品協会の会合が開催され、その一つにセルフメディケーション税制、医療費控除の特例の概要が報告されました。
 セルフメディケーションとは、世界保健機関(WHO)において、「自分自身の健康に責任を持ち、軽度な身体の不調は自分で手当てすること」と定義されており、わが国では自らの健康は自らが守る武器の一つとして、生活者にスイッチOTC医薬品(医療用から転用された医薬品)の活用が推奨されてきました。
 セルフメディケーション税制(医療費控除の特例)は、健康の維持増進及び疾病の予防への取り組みとして一定の取組を行う個人が、平成29年1月1日以降に、スイッチOTC医薬品(要指導医薬品及び一般用医薬品のうち医療用から転用された医薬品)を購入した際に、その購入費用について所得控除を受けることができるものです。
 適切な健康管理の下で医療用医薬品からの代替を進める観点から、健康の維持増進及び疾病の予防の一環として、要指導医薬品及び一般用医薬品のうち医療用から転用されたスイッチOTC医薬品 (類似の医療用医薬品が医療保険給付の対象外のものを除く)の購入費用について所得控除を受けることができる特例です。
 厚生労働省によれば、スイッチOTC医薬品を購入した個人が、平成29年1月1日から平成33年12月31日までの間に、自己または自己と生計を一に する配偶者その他の親族に係る一定のスイッチOTC医薬品の購入の対価を支払った場合、その年中 に支払ったその対価の額の合計額が1万2千円を超えるときは、その超える部分の金額(その金額が8万8千円を超える場合には、8万8千円)について、その年分の総所得金額などから控除されるというものです。
 なお特例の適用を受ける場合には、現行の医療費控除の適用を受けることができないとのことです。厚生労働省が示した特例措置利用するイメージは以下の通りです。
 課税所得400万円の生活者が対象医薬品を年間20000円購入した場合(生計を共にする配偶者、その他の親族分も含む)・・・対象医薬品の購入金額20000円―下減額12000円=8000円、つまり課税所得から8000円が控除されます。
 同時に所得税は控除額8000円×所得税率(20%)=1600円が減額され、一方、個人の住民税は、控除額8000円×個人住民税率10%=800円の減税効果があります。
 詳細は以下のURLを参照ください。
 http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000124853.html

 さて今週もまた、皆さまにとって「もっといい日」でありますように・・・。
『週刊がん もっといい日』編集長 山本武道

「生存率20%以下のがんから奇跡の生還」を果たした
ランス・アームストロングさん(自転車レースの最高峰、
ツールド・フランスで前人未到の7連覇)から、
がんと闘う皆さまへのメッセージです

↑クリックしますと全文掲載されます。

3年前に腎臓がんを克服したプロレスラーの
小橋建太選手からのメッセージ

↑クリックしますと全文掲載されます。

「いつの日か、あなたが孤独で行き先を見失った時には
春の穏やかな暖かい日向の風となって・・・
さわやかな幸せの風を送ります」
最後の力を振り絞って書かれた一通の
あるがん患者さんの手紙「お別れのことば」

↑クリックしますと全文掲載されます。

「もっといい日」図書室からのお願い!
がんの治療法(手術療法、化学療法、放射線療法、免疫療法、補完・代替療法など),食事療法、闘病記等々、がんに関する推せん書籍を、ご紹介ください。

皆さまが、最近読まれた書籍で、患者さんや家族の方々に、ぜひ読んでいただきたい書籍を、「もっといい日」図書室まで、下記の要領でお知らせください。

<お知らせいただく項目>

(1) 書籍名(2)著者と筆者の所属先及び連絡先(住所、電話番号)(3)発行出版社(住所、電話番号、メールがあればアドレス)(4)価格(5)簡単な紹介文(400字以内)(6)あなたさまの氏名、住所、連絡先(仮名も可)

送付先E-mail:kenji-1@mopera.net


がん関連書籍を紹介した『もっといい日 図書室』をご利用ください

がんに関する書籍が、相次いで出版社から刊行されていますが、「うっかりして買い忘れた」「知人から聞いた」「確か新聞や雑誌で紹介されていた」等々、入手できなかったというケースは少なくありません。
 そこで『週刊がん もっといい日』編集部では、がん関連書籍の発行先、著者の連絡先がわかる、『もっといい日 図書室』を開設いたしました。
 リストには、書籍名、発行元(出版社名・連絡先)、著者(著者の専門部位・所属先・連絡先)を掲載しておりますが、ただし著者の所属先及び連絡先が変更になる場合もありますので、ご了承ください。今後、がん関連の書籍リストは、随時、追加していきます。
『もっといい日 図書室』の閲覧は、トップページ上部の「もっといい日 図書室」をクリックしてください。

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クローズ・アップ
6割近くが健康に不安を感じ、「「疲れやすい」「肩・首こりがひどい」「体がだるい、重い」など5人に1人が生活習慣病で医療機関に通院
調剤チェーンの日本調剤が『ビジネスパーソンの健康に関する意識調査』

 
ビジネスパーソンの6割近くが「健康に不安を感じ」、その状態は、「疲れやすい」「肩・首こりがひどい」「体がだるい、重い」など全体の5人に1人が生活習慣病で医療機関に通院していることが、全国に調剤薬局を展開する日本調剤株式会社が実施した自主企画調査『ビジネスパーソンの健康に関する意識』で明らかになりました。
 同調査は、全国の20歳〜69歳のビジネスパーソン男女1000人を対象に、2016年4月15日〜18日の期間にインターネット調査で実施し、その結果をまとめたものです。
 [図1]健康への不安感(単数回答)
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_1.png
 [表2]健康に不安を感じる要因:男女別(複数回答)
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_2.png

調査結果のポイント
●6割近くの人が健康に不安感じる
 ビジネスパーソンの6割近くの人が健康に不安を感じることがある。性年代による大きな差はなく、男女ともすべての年代で5割以上が健康に不安を感じているが、中でも20代の女。性は65.0%と最も割合が高い。

●不安に感じる状態は「疲れやすい」がトップ
 健康に不安を感じる要因のトップ3は、「疲れやすい」(57.7%)、「肩・首こりがひどい」
 (41.8%)、「体がだるい、重い」(39.5%)。女性は「寝ても疲れがとれない」、「体の冷えやむくみ」の割合も高い。

●20代〜30代女性にストレス感が高い
 日ごろのストレスについて、7割以上の人がストレスを感じることがあり、中でも20代と30代の女性では87.0%と高い割合を占める。男女とも年齢が上がるに従いストレスを感じる割合は低くなる模様。

●5人に1人が生活習慣病で通院
 現在、医療機関に通院している生活習慣病がある人は、全体の20.2%。30代以上では、どの年代も女性より男性の方が割合は高く、50代の男性では44.0%、同60代は50.0%と半数の人が生活習慣病で通院している。

●生活習慣病がある人の約8割は薬を処方されている
 生活習慣病がある人の81.7%は処方されている薬があり、処方薬の種類は「1種類」が最も多く41.8%。「5種類以上」処方されている人も15.2%存在する。

●日ごろのセルフチェックは「体重測定」
 日ごろ健康のために行っているセルフチェックは、「体重測定」(46.3%)、「体脂肪測定」(19.7%)、「血圧測定」(18.3%)の順だが、行っていることが「特にない」も43.3%。

●30代男性は健康への心がけ「なにも行っていない」
 健康のために心がけていることトップ3は、「食事の栄養バランス」(44.3%)、「十分な睡眠」(38.8%)、「規則正しい生活」(34.4%)。30代の男性は「特にない」が34.0%で、何も行っていない割合が最も高い。

●健康についての相談相手は「家族や親せき」
 健康に関する悩みや不安の相談相手には「家族や親せき」(32.2%)が最も多い。次いで、「医療機関の医師」(24.3%)となった。性年代別でみると、20代の男性は誰にも「相談しない」割合が高い

調査の結果から
 今回の調査結果から、「疲れやすい」「肩・首こりがひどい」「体がだるい、重い」などの体の不調から、ビジネスパーソンの6割近くの人が自分の健康に不安を感じており、7割以上の方が日ごろストレスを抱えていることが判りました。
 また、全体の5人に1人が何らかの生活習慣病があり、中でも男性60代では半数の人が生活習慣病で医療機関に通院しており、お薬を処方されているようです。
 一方、健康に関する不安や悩みに対しては、栄養バランスや十分な睡眠、規則正しい生活を送ることの重要性は理解しているものの、積極的に健康増進に関する取り組みをあまり行っていない方も多いようです。また、どうすれば健康を維持できるか、その相談相手としては、最も身近な存在である家族や身内に頼ることが多いようです。
 超高齢社会に突入した現在、地域における身近な健康をサポートする存在として「かかりつけ薬局」の存在が注目を浴びています。
 薬局には薬剤師という医薬のプロフェッショナルがおり、また市販薬や医療機器、ヘルスケア商品を揃えており、服用されているお薬に関するアドバイスはもちろん、地域の身近な相談場所として、日々の健康に関するお悩みやご不安に対しても、しっかりとサポートする存在へと変わりつつあります。
 ちょっとした健康への不安感や体調不良からくる病気への恐れは、日々仕事に追われるビジネスパーソンであれば、なおさら早く解消したいもの。日々の生活を快適に過ごすためにも、調剤薬局をうまく活用してはいかがでしょうか。

【調査概要】
◇調査方法:インターネット
◇調査地域:全国
◇調査対象者:20歳〜69歳のビジネスパーソン男女1000人
◇サンプル構成
・全体1,000(男性500 女性500)
・20〜29歳(全体200 男性100 女性100)
・30〜39歳(全体200 男性100 女性100)
・40〜49歳(全体200 男性100 女性100)
・50〜59歳(全体200 男性100 女性100)
・60〜69歳(全体200 男性100 女性100)
◇調査期間:2016年4月15日(金)〜4月18日(月)
◇調査手方:株式会社インテージに委託してインターネット調査で実施
※グラフのパーセンテージは四捨五入されているため合計値が100にならないものもあります。

【調査結果】
Q1 あなたは現在、ご自身の健康に不安を感じることはありますか。(回答は1つ)
 自身の健康に不安を感じることがある人は、「非常にある」が9.4%、「少しある」は49.4%となり、6割近くの人が健康に不安を感じている。
 性年代による大きな差はなく、男女ともすべての年代で5割以上が健康に不安を感じている。中でも、最も割合が高いのは、女性20代で65.0%(「非常にある」12.0%+「少しある」53.0%)が不安を感じている。次いで、女性60代(63.0%)、女性30代(62.0%)、男性60代(62.0%)の順となった。
 [図1]健康への不安感(単数回答)
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_1.png

Q2 あなたが健康に不安を感じるのは、どのような体の状態からですか。(回答はいくつでも)
【回答者:Q1で健康に不安を感じることが「非常にある」「少しある」と回答した人】
 健康に不安を感じている人の不安の要因トップ3は、「疲れやすい」が最も多く57.7%
 次いで「肩・首こりがひどい」(41.8%)、「体がだるい、重い」(39.5%)であった。
 男女別で見ると、女性は「寝ても疲れがとれない」、「体の冷えやむくみ」、「めまいを感じる」といった不調の割合も男性より高い。

Q3 あなたは日ごろ、ストレスを感じることはありますか。(回答は1つ)
 日ごろのストレスについて聞いた結果、7割以上の人がストレスを感じることがあると回答(「非常にある」25.2%+「少しある」46.7%)。
 性年代別で比較すると、最もストレスを感じる割合が高いのは、女性20代と30代で87.0%(「非常にある」+「少しある」)、次いで女性40代(77.0%)。
 一方、最も低いのは男性60代で44.0%、次いで女性60代62.0%となり、男女とも年齢が上がるに従いストレスを感じる割合は低くなる模様。
 [図3]日ごろのストレス(単数回答)
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_3.png

Q4 あなたは現在、定期的に医療機関に通院している生活習慣病がありますか。(回答は1つ※生活習慣病とは、心臓病・高血圧症・糖尿病・脂質異常症など、不適切な食事、運動不足、喫煙、飲酒などの生活習慣に起因すると考えられる病気)
 現在、医療機関に通院している生活習慣病があるか聞いた結果、全体では20.2%の人が「ある」と回答。性年代別でみると、30代以上では男性の方が女性より生活習慣病がある割合が高い。
 さらに、当然のことながら年代が上がるに従い割合は高くなり、男性50代では44.0%、男性60代では50.0%と半数の人が生活習慣病で医療機関に通院している。
 [表4]生活習慣病の有・無:性年代別(単数回答)
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_4.png
 [図4]生活習慣病が「ある」割合:性年代別(単数回答) n=1,000
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_5.png

Q5 あなたは現在、生活習慣病で医療機関から処方されている薬はありますか。また、「ある」と回答された方は、何種類処方された薬がありますか。(回答は1つ)
【回答者:Q4で生活習慣病が「ある」と回答した人】
 定期的に医療機関に通院している生活習慣病がある人で、処方されている薬があるのは81.7%。薬を処方されている人の処方されている薬の種類を聞いた結果、最も多いのは「1種類」(41.8%)、次いで「2種類」(22.4%)となったが、「5種類以上」処方されている人も15.2%存在する。
 [図5]処方薬の有・無(単数回答) n=202
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_6.png
 [表5]処方されている薬の種類(単数回答)
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_7.png

Q6 あなたは日ごろ、健康状態を確認するために行っているセルフチェックはありますか。あてはまるものをすべてお答えください。(回答はいくつでも)
 日ごろ、健康状態を確認するために行っているセルフチェックのトップ3は、「体重測定」(46.3%)、「体脂肪測定」(19.7%)、「血圧測定」(18.3%)。行っていることは「特にない」も43.3%となった。
 性年代別でみると、男性50代、60代、女性30代〜60代は5割前後の人がセルフチェックで「体重測定」を行っている。
 一方、男性20代〜40代と女性20代の5割以上は、行っているセルフチェックは「特にない」。
 [表6]健康状態を確認するために行っているセルフチェック:性年代別(複数回答)
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_8.png

Q7 あなたは日ごろ、健康維持のために心がけていることはありますか。あてはまるものをすべてお答えください。(回答はいくつでも)
 健康のために心がけていることのトップ5は、1位「食事の栄養バランス」(44.3%)、2位「十分な睡眠」(38.8%)、3位「規則正しい生活」(34.4%)、4位「運動やスポーツ」(27.0%)、5位「十分な休養」(20.6%)となった。
 性年代別でみても心がけていることの内容に大きな違いはないが、男性30代は「特にない」が34.0%と最も割合が高い。
 [表7]健康のために心がけていること:性年代別(複数回答)
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_9.png

Q8 あなたは、健康に関する不安や悩みを相談する場合、どのような相手、場所に相談することが多いですか。最も多いものをお答えください。(回答は1つ)
 健康の不安や悩みの相談相手を聞いた結果、「家族や親せき」が最も多く32.2%。次いで
 「医療機関の医師」(24.3%)、「知人や友人」(10.3%)であったが、約1/4の人は誰にも「相談しない」(25.5%)と回答。
 性年代別でみると、男性50代、60代、女性60代は生活習慣病で医療機関に通院している人が多いためか、「医療機関の医師」に相談する割合が高い。誰にも「相談しない」割合が高いのは男性20代(44.0%)、男性40代(36.0%)
 [表8]健康の不安や悩みの相談相手:性年代別(単数回答)
 https://www.atpress.ne.jp/releases/102023/img_102023_10.png

【日本調剤株式会社について】 http://www.nicho.co.jp/
 1980(昭和55)年の創業以来、一貫して国の健康保険制度を支える調剤薬局のあるべき機能・役割を全うすべく「医薬分業」を追求し、調剤薬局展開を積極的に行っています。現在では、全都道府県に調剤薬局を展開し約2,500名の薬剤師を有する、日本を代表する調剤薬局企業として評価を得ています。また、ジェネリック医薬品の普及や在宅医療への取り組みを積極的に進めており、さらに超高齢社会に必要とされる良質な医療サービスを提供する「日本のかかりつけ薬局」を目指して取り組んでいます。



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今週のニュース
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BCネットワーク、『がんと栄養』サイトで新コンテンツ
『緑茶と抹茶』(米国登録栄養士の宮下麻子さん)をアップ

 
日米両国に在住の日本人女性達に乳がんに関する最新の情報 、乳がん治療後の生活の取り組み、乳がん早期発見、 啓発情報発信を押し進めていくアメリカ認定の非営利団体BCネットワークの『がんと栄養』サイトに、『緑茶と抹茶?身体と心の健康維持?の観点から』のテーマで、米国登録栄養士の宮下麻子さんが動画で紹介しています。詳細は、『がんと栄養』のサイト(http://www.gantoeiyo.com/)から。
 
2名の医師が『乳がんとがん治療への歩み』を
紹介した書が刊行

 
BCネットワークのイベントに協力している乳腺外科の土井卓子医師と腫瘍内科の高野利美医師の最新著書が刊行しました。二人の医師は、乳腺外科の立場から、高野医師は腫瘍内科の立場から、それぞれ違った視点で『乳がんとがん』について、患者さんの満足のいく治療への歩みを記しています。内容は以下の通り。
■『乳がんと言われたら読む本―治療・生活・食事・ケア』土井卓子(湘南記念病院かまくら乳がんセンター長)
■『がんとともに、自分らしく生きる―希望をもって、がんと向き合う「HBM」のすす』
高野利実(虎の門病院・臨床腫瘍内科部長)
 詳細は、BCネットワークのホームページ(http://bcnetwork.org/)で。

BCネットワーク。7月24日に第6回乳がんタウン
ホールミーティング@東京豊洲

 
BCネットワークの第6回乳がんタウンホールミーティング@東京豊洲が、7月24日(日曜13時〜16時30分)に都内江東区内の昭和大学江東豊洲病院で開催されます。テーマは、『医師と患者で一緒に考えよう〜一人ひとりの個別化乳がん治療〜医師も患者も一緒deウイッグショー』。
 ナビゲーターは、明石定子医師(昭和大学病院・乳腺外科准教授)。講師は勝俣範之医師(日本医科大学武蔵小杉病院内科教授・部長・外来化学療法室室長)、高野利美医師(虎の門病院・臨床腫瘍内科部長)、患者側からは、高橋拾恵さん(乳がんひたち・肝臓再発がん患者)と佐崎和子さん(メンタルスパ共同代表・トリプルネガティブ経験者)
 参加方法など詳細はhttp://bcnetwork.org/から。

『湿潤治療〜キズの新しい治療』
テーマに第29回健康医療ネットワークセミナー

 
NPO健康医療開発機構主催の第29回健康医療ネットワークセミナーが6月10日、都内の東京大学医科学研究所で開催されます。講演タイトルは『湿潤治療〜キズの新しい治療』(消毒、ガーゼを用いない治療/痛みが少なく、治りも早い治療)。講師は望月義彦医師(医療法人社団エミリオ森口芝浦スリーワンクリニック院長)。
 会費は1000円(会員無料、学生500円)。定員(80名)になり次第に締切り。参加できない場合、事務局から連絡があります。参加希望者は健康医療開発機構事務局 (sanka@tr-networks.org)へ。 
■開催日時:6月10日(金)18時30分〜20時30分
■会  場:東京大学医科学研究所2号館2階大講義室
■後援タイトル:『湿潤治療〜キズの新しい治療』(消毒、ガーゼを用いない治療/痛みが少なく、治りも早い治療)望月吉彦(医療法人社団エミリオ森口芝浦スリーワンクリニック院長)
■講演概要
これまで、キズの治療(外傷、ヤケド)と言えば、「消毒をしてガーゼを当てる」というのが主流でした。しかし、この方法では創面(キズ口)を痛めてしまいます。その結果、痛みを生じさせ、キズの治りを遅らせ、更には最終的に肥厚性瘢痕(一般の方は「ケロイド」と言います)を生じさせることが多くあります。
「湿潤治療」は、外傷、熱傷などの創傷に対する新しい治療法として注目されています。消毒薬やガーゼを用いず、「キズ口を消毒しない、キズ口を乾かさない」治療です。キズ口をよく温水で洗浄して湿潤治療用の被覆材で創部を覆うのが基本的な方法です。この方法を早期から行えば、傷跡(きずあと)もほとんど残りません。
旧来の「消毒してガーゼをあてる」治療方法と「湿潤治療」との違い、湿潤治療が優れている根拠、これまでに実施した具体的な治療例を多数お示し、皆さんに「湿潤治療」が優れた治療法であることをご紹介したいと思います。
■会 費:1000円(NPO健康医療開発機構会員、学生は無料)
■参加希望者は健康医療開発機構事務局(sanka@tr-networks.org)まで。
 
日本介護食品協議会が『初夏の爽やかユニバーサル
デザインフード」プレゼントキャンペーン』

 
日本介護食品協議会では、“初夏の爽やかキャンペーン”と題した、ユニバーサルデザインフードプレゼントキャンペーンを5月16日からスタートしました。
 このキャンペーンは同協議会ホームページ専用コーナー上から簡単なアンケートに答えれば、抽選で100名に3000円相当のユニバーサルデザインフード商品詰め合わせがプレゼントされます。期間は6月15日までです。 実施要領は次の通り。
■応募期間:5月16日(月)〜6月15日(水)
■当選賞品:ユニバーサルデザインフード商品詰め合わせ 3000円相当
■内  容:Aコース(常温食品コース)/Bコース(冷凍食品コース)が選択できます。
(商品の指定はできませんのでご了承下さい)
※Bコース(冷凍食品コース)は、1社分の商品セットとなります。
※Bコース(冷凍食品コース)は、業務用商品が含まれる場合があります(家庭での利用)。
■当選者数:100名(当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます)
商品の発送 当選者の指定した場所へ発送します(7月中旬ごろにお届けの予定)。


行政情報
<厚生労働省>
■個人の予防・健康づくりに向けたインセンティブを提供する取組に係るガイドラインについて
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=221607
■第7回 特定健康診査・特定保健指導の在り方に関する検討会 資料
http://wwwhaisin.mhlw.go.jp/mhlw/C/?c=221601

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『ここにこの人』
「どうせ自分は死ぬんだし、死ぬまでは生きている。だったら生きている間は思いっきり生きなきゃ」
慢性骨髄性白血病経験者 研修ファシリテーター&薬剤師 
久田邦博(ひさだ くにひろ)さん

 
ある日 受けた血液検査の結果は慢性骨髄性白血病。2001年のことでした。がん闘病歴14年になる久田邦博(ひさだ くにひろ)さんの、がん患者としての第一歩は、こうして始まりました。がん患者としての1年目は、粛々とした生活を過ごしたものの、1冊の書との出会いによって生きる目標を見出した久田さんは、「どうせ自分は死ぬんだし、死ぬまでは生きている。だったら生きている間は思いっきり生きなきゃ」−強い意思を持ち、自分の“生きた証”を残すため、自身の生き方を残す活動にも奔走してきました。各地に残してきた久田さんの講演記録は500回を優に超えています。久田さんが語った『私の闘病記』を紹介しましょう。

           久田邦博さん


■2
001年、血液検査で判明してからの日々
 
上場一部企業に勤務。課長に昇進した久田さんは、「さあ!これから・・・」というときに、ある日受けた血液検査で白血病と診断されました。正式な病名は慢性骨髄性白血病。2001年のことです。
 「がんと宣告された20001年から1年間は、粛々と生きるというかお酒を飲むのを控えましたが、2年目から普通の生活に戻しました。そうこうしているうちに、『思考は現実化する』(ナポレオン・ヒル著)という書を読み、『自分は治ったと思って生きれば、きっと脳が勘違いして免疫機能が高まるのではないか』と思うようになり、自分も、そのように生きようと決めました」
 そこで久田さんは、自分の治療法を探すための目標を決めました。
 「何年も生きている人が、どんな状態なのか、元気で長生きしている人がいたら、どのよう生活を実行しているのか。このことが、後に続く患者さんたちの希望に繋がるのではないのかとも思いました。これからの人生の方向付けに大きく役立ち、精一杯生きたいと思うようになりました」
 久田さんは、「どうせ自分は死ぬんだし、死ぬまでは生きてる。だったら生きている間は思いっきり生きなきゃ」−強い意思を持って活動するようになりました。


がん発症から2年目、生き方に変化・・・
 
がんを発症して2年目。久田さんの生き方に変化がありました。いろんなイベントに参加するなど、生きる目標を見出したからです。
 そして上司から、「新入社員を預かれ」と、1年間にわたり新入社員の養成を任せられた久田さんは、彼らに自分が生きている証を残そうと思い立ったのです。
 「早く死んじゃうかもしれないという思いもあって、とにかく猛烈に学びました。そしていろいろとチャレンジするようになりました。実際に勤めていたから、経済面に不安はなかったのですか?長く休めば会社勤めですから、いろいろと問題が発生するかもしれない・・・。
 がんと診断された際に妻と話しあいました。『会社を辞めて好きなことをやったらどう?』妻とは言ってくれましたが、当時、僕が持っていた情報によれば、僕の場合は後3年半の猶予があるとのことでした。妻に、『3年半、まだ生きられるよ』って話したら、妻は、『だったら会社を辞めないで生きよう。それに治療代もかかるし・・・』と言ってくれました。ならば会社を辞めないで、がんと共生していこうと思うようになったのです」

■延べ500回を超える講演活動
 「私が今日に至っているのは、勤務していたのは大企業だったということです。これは僕にとっては、とても大きいポイントでした。そこは保険・医療システムが完備していて高額医療の適用が大きかった。ですから私自身は、物凄く恵まれたがん患者であると自覚しています」
 ―― そういえば、今年都内で開催された大型のドラッグストアで組織される日本一のボランタリーチェーングループの商品フェアで講演されましたが、こうしたドラッグストアが集まる会場で、がん患者としての経験をお話されるのは多分初めてではないかと思いますが・・・。
 「がん患者である自分の体験を話し、自己分析できて、医療現場の実態を知っていて、プレゼンテーションを学んでいる人は、物凄く少ないのではと思います。ですから講演依頼は全国から来ています。ドラッグストアの経営者や企業の方々に直接、話すことができて良かったと思っています。
 これまでも今も、講演の依頼がきたり、患者会、学会からもお呼びがかかり、これまで通算で講演活動は、延べ500は超えています。最近では、薬局・薬剤師さんに話す機会が増えてきました。医療行政の動き、在宅医療現場のこと等々・・・私自身も、いろいろと学び患者さんに寄り添わなければならないことを薬剤師さんに伝えています」


疲れたら寝てQOLを高め生活を楽しむこと
 ―― 日常の生活は、どのようにしていますか?
 「野菜は、摂取しやすいようにジュースにして飲み、疲れたら寝る。白血病患者さんと他のがん患者さんに、罹患する前には、どのような状態であったか聞いたところ、皆同じ答えが出ました。ストレスがなかなか解消しなかったことが共通していました。
 そこでQOLを高め生活を楽しむことが大切ですが、わかっていてもやらかったり、例えば薬についても、飲まなければならないとわかっているのに飲まなかったり・・・。白血病だけの死であれば私の治療方法は93%というデータが出ていますが、でも私が調べると飲まない人は20%ぐらいです。体がだるい、経済的な面で仕事が継続できないなどの理由で薬を飲まない人もいますので、最期に薬を渡す人、確認する人、つまり薬剤師さんが、しっかりとこうした部分にかかわらないと薬を飲まないケースがおきてくるのです」
 子供の頃に、少量の殺虫剤を害虫にかけるだけで死ぬことが、とても不思議に思っていたという久田さん。薬剤師になろうと思って私学の薬学部に入学したのではなく「元々は新薬の研究がしたかった」そうですが、薬剤師試験に合格し製薬企業に在籍する一方、がん患者としての経験を伝える日々。
 「死ぬまでは生きているんだから、だったら勇気を持って生きていこう」
 自分自身に言い聞かせ、がん患者さんにも呼びかける久田さん。1人でも多くのがん患者さんが、1日でも長く生きることができるよう、自身の体験を披露してゆくことにしています。

◎『クニ坊の成長日記』
http://kunibou.cocolog-nifty.com/
◎「がんと自分」(2013/12/25 に公開)
2013年12月7日(土)開催「Over Cancer Together〜がんを共にのりこえよう」から
https://www.youtube.com/watch?v=ifhehc0UWT8



がんに挑む企業
”化粧のちから“で、がん患者さんの肌の悩みに対応する『心の家』
資生堂ライフクオリティービューティーセンター


■2006年6月、東京・銀座にオープン

 
『心の家』と呼ばれている部屋が東京・銀座にある。肌に何らかの悩みを抱える女性たちが、 ”化粧のちから“によって、美しさを蘇らせ、夫が、子供が、両親が、笑顔とともに、『心の家』から街へ出て、食事に、そして我が家に戻る・・・。

 
プライバシーが保たれたこの個室では、あざ、傷痕などの肌色変化や凹凸、顔のバランス、がん治療の副作用による外見上の変化などに悩む人たち一人ひとりに合わせたカバー方法の紹介だけでなく、実際にメーキャップしてくれる。
 『心の家』を運営するのは、資生堂ライフクオリティービューティーセンター。肌の悩みで訪れる女性たちのためにメーキャップを行う個室だ。スタッフが、心を付加させたメーキャップをしてくれるほか、自宅でも活用できるメーキャップ方法もアドバイアスする

 

      
東京・銀座にある『心の家』
私たちは信じています。”化粧のちから“は、お客さまの心を癒すことができると」として日々、さまざまな肌の悩み解消に『心の家』の来訪者に対応している資生堂ライフクオリティービューティーセンター。2006年6月にオープンした。
 活動の始まりは1956年。広島や長崎の原爆などの寄るケロイドに悩む人々に対して、「資生堂だからこそできることをしたいという願いから、約60年にわたり、さまざまな肌の悩みに“化粧の力”で支える活動に取り組んできた。


■化粧を通じて心まで豊かになっていただくこと
 
センターではスタッフが、次のような提案をしてくれる。
●がん治療の副作用で眉・目元の脱毛、強いくすみ、くま、シミなどに悩む患者さんに対しては、肌色の変化に対応したカバーテクニック(治療の副作用などによる肌のくすみや肌色の変化など一人ひとりの悩みの状態に合わせてカバーするテクニックを一生に考える)
●薄くなったリ、脱毛した眉・目元へのメーキャップテクニック(眉・アイラインの描き方を紹介・・・これから治療予定の患者さんも、治療によって眉毛やまつ毛が薄くなったり、脱毛したときのために備える)
 「二人に一人が、がんに罹患する時代。がん治療による副作用によって、肌がくすんでしまったり等々・・・肌の悩みを解消するために2007年から取り組みを始めました。リレーフォーライフの主催者から声がかかり参加し、がん患者さんためのメーキャップのデモンストレーションをして日本対がん協会とのつながりができ、肌に悩みを持つがん患者さんを集めていただきメーキャップをしてきました」(センタースタッフの関ゆりさん)

 
「がん患者さんにも、ぜひライフクオリティービューティーセンターの活動を知っていただければ・・・。カウンセリングに応じてくれる店舗リストも用意しました。これからは多くのマスコミを通じ当センターの存在をアピールしていきたいと考えています」(センターで医療機関等を担当する村井明美さん)
 「化粧を通じて心まで豊かになっていただくことは資生堂の活動の”原点"」ーその表れが『心の家』と呼ばれる所以であろうと思う。
 肌の状態に応じて色合わせができるよう、ファンデーションアイテムが取り揃えられた部屋でカウンセリングが行われる。
 肌の悩みや普段のメーキャップについての問診→悩みに合わせたメーキャップアイテムと色選び→カバーするテクニックの実習及び仕上がりの確認→地震による練習→メーキャププランの発行の順で、カウンセリングの流れになる。所要時間は最大90分間。

「社会復帰したい」「辛い治療をわすれることができた」患者さん
 
「自分の家に来たようなリラックス感を味わっていただければ・・・。メーキャップ室=心の家には、がん患者の娘さんのメーキャップにつきそう両親、お母さんが綺麗になっていく様子を見つめる子供さん、奥さまに寄り添うご主人・・・90分が経った後、笑顔で心の家をでる皆さまの表情を見たとき、改めてセンターの存在意義を再認識することができます」(広報・PR担当の小林智子さん)
 「眉を描き、肌色をカバーした顔を見て元気だったころの自分に近づけた。一日も早く社会復帰したい](40歳女性)
 「無理はしないし、頑張らないけれど、負けたり、逃げたりせず、治療や生活に取り組んでいきたいと改めて思った」(50代女性)
 「化粧をしているとき一瞬、辛い治療を忘れることができた。一瞬でも治療を忘れられるという精神的な希望を叶えてくれるのが化粧」(40代女性)
 
資生堂ライフクオリティービューティーセンターが作成した『肌や外見上に深いお悩みをお持ちの方へメーキャップアドバイスの案内』に記された患者さんの声である。
 ”化粧のちから”は、凄いと思う。
 資生堂ライフクオリティービューティーセンターのカウンセリングを受けるためには、予約が必要だ。予約番号は03-3289-2262。
 全国のカウンセリング店舗は、http://www.shiseidogroup.jp/siqc/shop/ もしくはフリーダイアル(0120-81-4710)で。


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統合医療最前線

療技術、化学療法、漢方、免疫活性、
ビタミンC療法などを駆使し患者一人ひとりの状況に応じた治療を実践
ふじ養生クリニック福岡院長 藤本勝洋医師


 
福岡県に統合医療を駆使して、がん治療に取り組む医師がいる。博多駅にほど近い地に、「ふじ養生クリニック福岡」を開業する院長の藤本勝洋医師だ3,000人以上のがん治療で培った治療技術、化学療法、漢方、免疫活性、ビタミンC療法など統合医療を駆使して、患者一人ひとりの状況に応じた治療を実践している。「患者と医療者が調和すること。医療者同士が互いに調和すること。そして、さまざまな治療方法や治療技術が調和していくこと」を理念とした“調和医療”を目指す藤本院長に。低用量化学療法やサプリメントの効果について聞いた。













プロフィール
1992年に福岡大学医学部医学科卒業、福岡大学病院第2内科。1998年、名古屋市立大学大学院医学研究科修了1999年、医学博士号取得。福岡大学病院内科学教室で臨床・研究・教育に従事。2003年に大学医学部での研究、学生指導に携わるなか、免疫療法を行う医療施設に副院長(後に院長)として入職。その後、化学療法の化学療法を中心とした総合的な治療体系へ展開。
2012年、ふじ養生クリニック福岡開設し院長に就任、医学博士。福岡大学医学部非常勤講師、九州大学大学院医学研究院保健学部門非常勤講師、純真学園大学保健医療学部医療工学科非常勤講師。所属学会は、日本臨床腫瘍学会、日本バイオセラピィ学会、日本肺癌学会、日本呼吸器学会、日本緩和医療学会、日本内科学会、日本褥瘡学会、日本老年医学。

  藤本勝洋(ふじもと かつなだ)院長

低用量化学療法(休眠療法)で
身体に優しいがん治療を実践する

 
ふじ養生クリニック福岡では、「がんの診断を受けて悩んでいる患者」、「すでに幾つかの治療を受けて効果のない患者」、「がん専門病院や他のがん専門クリニックでもう治療法はないと言われた患者」の相談に応じて、身体に優しいがん治療を実践している。
  藤本院長が行う治療は、化学療法、休眠療法、分子標的薬療法、免疫化学療法、免疫療法、ビタミンC療法など。化学療法および分子標的治療薬療法は固形がん全般を対象とし、低用量化学療法(休眠療法)に行っている。ただし、白血病は対象としていない。
  藤本院長は、日常生活に支障がないよう、抗がん剤の量、スケジュールを検討して投与している。
                     ◇

低用量化学療法の投与とその効果は?
 
「標準療法では、患者に対して抗がん剤がどのくらいの用量で効くのかわからないし、まったく同じ条件、同じ年齢、同じ性別、同じがん種、同じような身長・体重でも効果が異なります。
  このことは、がん拠点病院でも同じです。もちろん基本である標準療法が大切で、その基本を知らずして低用量化学療法をやるのはよくないですね。
  低用量化学療法は、進行がんに対してQOLを下げないようにする化学療法です。一方、白血病に対しては、用量を上げた方がいいのです。
  抗がん剤の浸透性もいいので、ハイリスク・ハイリターンで、がん細胞を叩けるだけ叩くようにしないといけません。白血病の場合、がん細胞の隠れ家は血管内と骨髄しかないから叩けるのです」


予後の改善にも自信を持って薦められる

  「反対に固形がんの細胞には隠れ家が多く、抗がん剤の届かないところに隠れるので、抗がん剤は固形がんには成果が少ないのです。 分子標的治療薬は、がんによっては95%効くような製剤もできていますが・・・。いずれにしても、患者さんのQOLを落とさないのがベストです。固形がんに対する抗がん剤の効果は、ハイリスク・ローリターンです。
  例えば、肺がんに対して30%しか効かない抗がん剤もあります。特別に効果が高い抗がん剤を除いて低用量で治療した方がいいと思います。低用量でQOLを落とさずに、さらにがん細胞が消える患者さんもいるくらいですから。抗がん剤の治療で苦しむよりも、苦しまずに楽をして長らえる方がいいと思います。
  また、低用量化学療法は予後の改善にも自信を持って薦められます。進行がんの最終目標は延命、予後の改善になっています。患者さんにその過程をいきいきと楽しんで生きてもらうこと。標準治療によって病院で寝込んで苦しむのと、低用量化学療法でお酒も飲み、たくさん食べ、家族と楽しく過ごすことのではどちらがいいかということです」


低用量化学療法と免疫賦活剤との相乗効果は?

 
「低用量化学療法では免疫が落ちません。それどころか免疫を活性化させる、免疫が上がることもあります。私は、患者さんの経済的負担が少なく、安全性も担保され、エビデンスに基づいて免疫力を上げる効果の優れる免疫賦活剤であるレンチナンやアンサー20、クレスチン、ベスタチンなどを選択して治療に使っています。
  これらを並行して使うことによって有益な治療、免疫化学療法が可能になります。これによって、低用量化学療法との相乗効果が生まれます。 実際に余命半年とか1年とか言われた患者さんが2年、3年、4年、5年と楽しく生活しているといった結果が多く出ています。末期のすい臓がんで4年も生きられた患者さんもいました。
  北九州から通っている患者さんは、腫瘍マーカーが正常値まで下がって、腫瘍も1.7cmまで縮小してあとわずかになりました。鹿児島から通う患者さんは、肺がんが全身に転移して3年になりますが、低用量の抗がん剤で副作用もなく一人で通っています。
  こうした普通の生活が送れるようになったことで、進行がんの患者さんに、いかにいきいきと生きてもらうか、それを支えるのが私たちの目標であって、抗がん剤で腫瘍を小さくすることではないのです」

低用量化学療法以外の治療法は?

 「お話しした低用量化学療法が一つの柱です。低用量の抗がん剤で抗原がもう一度出やすくなる。これを免疫が認めやすくなる。そこに免疫賦活剤を使うということが私の治療のもう一つの柱になります。
  さらにもう一つの柱としてビタミンC大量投与もやっています。しかし、ビタミンC大量投与は抗がん剤と一緒にやるのは好ましくありません。ビタミンCは抗がん剤の効果を下げることが確認されており、これは論文もでています。私はビタミンCと抗がん剤に近づけないようにしています。ビタミンCも標準療法を知らなければだめですね。
  いい治療をするためにいろいろな薬を使うのは当たり前のことです。しかし、一般的な標準治療も患者さんにきちんと説明して理解してもらうことが重要です。治療する場所を狭めないで治療地ていくこと。これが治療だと思います」


サプリメントの関わり方

 「法律が変わって医療機関でサプリメントが販売できるようになりました。それはいいことだと思いますが、ただ販売すればいいというのはいけません。患者さんの目的は「よくなりたい」ですからこれに応えられるものを使わなければいけないと思います。
 患者さんがほしいというものを販売するのではなく、患者さんの治療に合わせたものを、薦めなければなりません。例えば、乳がんや卵巣がんなどにフラボノイドなどを摂取させたら悪化させてしまいます。法律が変わって売れるようになったからといって、販売目的で副作用的なものがあるようなものを扱っていると問題が起こります。
 せっかくサプリメントの取り扱いができるようになったのに、再び医療機関での取り扱いが制限されるようになるかもしれません。私たちは医療者として、適切なものを取捨選択して患者さんに薦めなければなりません。決して商売にしてはいけないのです。医療者として、ほしいからではなく患者さんに必要であるもの、臨床的な基礎データや安全性の担保を持ったものであることが重要です。
 経験的にいいものを薦めています。タモギタケ、タヒボ、バンブーノイドなどがいいと思います。

『バンブーノイド』を使用して腫瘍マーカが下がった

 
「大腸がんの患者さんですが、抗がん剤の使用を中止してからバンブーノイドを使用したのですが、腫瘍マーカーが下がりました。 その患者さんに対する抗がん剤投与を中止したのは2014年11月6日で、その時点でCEAが359.4、CE19-9が639.6でした。2カ月後の2015年1月6日にはCEAは559.7、CE19-9は1086.4まで上がっていました。
 それからバンブーノイドを摂取したところ、1か月後の2月12日にはCEAが370、CE19-9は1065に下がりました。 バンブーノイドはサプリメントですが、結果を見る限り、これがいい結果をもたらしたとしか考えられません。引き続き経過を見ていきたいと思います」
ふじ養生クリニック福岡
■所在地:福岡市博多区博多駅前3-7-34第2博多クリエイトビル3F(?092-409-1345)
■予約受付日時:月・火・木・金・土(午前10時から午後6時まで

 
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がん闘病記
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塩分や糖分をほとんど取らない野菜中心のゲルソン療法で
悪性リンパ腫に勝利しプロレス復帰を目指す垣原賢人さんに聞く

 
「UWF」と聞いて胸をときめかせる人は、未だにたくさんいるでしょう。とくに30代後半〜50代のなかには、打撃やサブミッションを中心とした独特の格闘スタイルに憧れ、夢中になった人は少なくなくないはずです。その「UWF」(※プロレス団体・新生U.W.F)に入門し、数々のプロレス団体を渡り歩き、活躍した垣原賢人(かきはらまさひと)さんが昨夏、悪性リンパ腫に侵され、現在、抗がん剤治療と食事療法・栄養療法をしながら、必死にがんと闘っています。その一方で、昆虫や自然を愛し、クワガタによる「クワレス」をプロデュースするなど「ミヤマ☆仮面」として活動する垣原さん。最大の目標を「プロレス復帰」と宣言した熱い思いを聞きました。

     
     垣原賢人さん
















昭和47年生まれ。愛媛県出身。平成元年6月「U.W.F.」(新生UWF)に入門。前田日明選手、山崎一夫選手の付き人を務める。同2年8月31日、横浜アリーナにおける冨宅祐輔戦でデビュー。その後、「UWFインターナショナル」「キングダム」「全日本プロレス」「プロレスリング・ノア」「新日本プロレス」を主戦場にして、数々の強敵と闘ったが試合中に痛めた首の負傷が原因で同18年現役引退。現在は「ミヤマ☆仮面」として「クワレス」・「カブトムシバトルレース」などの昆虫イベントを主宰。
プロレスで培ったトレーニング方法「プロレス式トレーニング」・「キッズトレーニング」を用いて指導したり、掌底を音楽に合わせて行う「格闘ビクス」指導も行っている。
通称はカッキー。プロレス時代の得意技はマシンガン掌底、カッキーカッター、稲妻レッグラリアート、ヘッドロック。

■発症の経緯

 
― 悪性リンパ腫ということですが発症の経緯を教えてください。
 垣原 昨年の夏頃から鼠径部の「しこり」が気になり出しました。それが秋には、脇にも「しこり」ができました。
しかし、それに対し、目を逸らしていたように思います。クリスマス前にようやく病院に行き、精密検査をした結果、悪性リンパ腫を診断されました。
 抗がん剤治療を前に、知り合いのリングドクターにも相談し、どういう病気で、どう治療していくかという知識を身につけ、治療を開始しました。現在は、担当医師も信用して、抗がん剤投与を続けています。
 ― 現段階での体調はいかがですか?
  垣原 当初、とても気になっていた「しこり」は消えました。抗がん剤による免疫力低下で、肺炎にかかるなど、不安定な時もありましたが、なんとか体調の維持に努めています。
  ― やはり、ご自分ががんと診断されたときはショックだったと察しますが・・・。
 垣原 私だけでなく、家族やプロレス時代の仲間なども心配してくれました。また、家族が私を気遣ってくれるのもわかります


■食生活を変え食事療法・栄養療法に取り組む
 
― 食事・栄養療法もされていると思いますが。
 垣原 がんになった原因を考えると食事だったのではないかと思います。私は17歳でプロレスに入門し、体を大きくするために肉もたくさん食べました。しかし、今は血液の病気であることから、食生活を変え、食事療法・栄養療法に取り組んでいます。
  ― 具体的にどのような療法ですか。
 垣原 私の長女(※アイドルグループ「バクステ外神田一丁目」垣原綾乃さん)が、いろいろ調べてくれて、そのなかでゲルソン療法が良いのではということになり、さっそくやってみました。ゲルソン療法は塩分や糖分をほとんど取らない、野菜中心の食事療法です。
  まず、朝はニンジンジュースを飲むのですが、その後に待っている味のない食事は苦痛でたまりませんでした。厳格なゲルソン療法を4カ月続けました。その後、専門家の先生にアドバイスを受け、味噌汁や鶏肉料理も取り入れるようにしました。現在は1日2食という食事習慣にして、24時間のうち17時間は連続で胃などの消化器官を休めることに専念しています。ニンジンジュースはしっかり続けながらも、自分独自の食事療法を構築しています。
  ― がんになって、なにか発見できたことはありますか。
  垣原 まず最初に言えるのは周囲の人や様々な事柄に対する「感謝」の気持ちが強くなったことです。毎日、食事ができることへの「感謝」、家族や友人から支えてもらうことへの「感謝」・・・。食事療法のための料理を作ってくれる妻への「感謝」も忘れてはいけません。
  自分が今、こうやって生きて生活できるのは、いろいろな事から恩恵を受けているからだと実感できるようになりました。だから全てのものに、毎日、「感謝」をしています。「感謝」をして、人生を楽しくという気持ちになりました。後ろ向きの気持ちを持ってはいけないのだと。こういう気持ちになれたことで、病気になって良かったのかもしれないとさえ、思うようになりました。
  ― 垣原さんが病気になったことでお子さんたちになにか変化がありましたか。
  垣原 長女がアイドルの仕事のためにネット上などで情報発信をしているのですが、以前よりも積極的になりました。自分の仕事に対する責任感を持てるようになったことに感心しています。
  9月23日にライブがあるというので、私も観に行きますが、楽しみにしています。その下に13歳の長男がいますが、「クワガタ忍者」として私の「クワレス」イベントのサポートをしてくれます。私が病気になっても子供たちが、がんばってくれることがたいへん嬉しいです。


希望を持つことを生きる原動力に・・・
 
― 夢や目標があれば教えてください。
  垣原 私はプロレスを引退してずいぶん経ちますが、がんを克服したことを証明するために、もう一度リングに上がろうと考えています。現役復帰を有言実行できるよう、がんとの闘いに勝利したい。
  あいにくプロレスラーでがんんになった人には小橋建太さんや藤原喜明さん、西村修さんなど何人もいますが、克服して今でも元気な人は多いです。がんへの勝率≠ヘ高いので、私も負けるわけにはいかないのです。
  ― 悪性リンパ腫は全国で3万人とも言われています。最後に闘病中の仲間たち≠ノ励ましの言葉をお願いします。
  垣原 希望を持つこと。これが一番大事です。希望を持つことを生きる原動力にしてほしいです。私も現役復帰という希望を捨てずに、がんとの闘いに勝利します。
【聞き手:花里淳一(プロレスファン歴36年)・檜山正明(同15年)記者】

               
本年8月に発売された垣原賢人著『Uの青春 〜カッキーの闘いはまだ終わらない』(廣済堂出版)               
連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第25回  忘れ得ぬ人々の笑顔

山本武道

 
長生きの秘訣は食生活にあることを証明してきた”長寿の郷
 2016年も、棡原地区に新しく入社したスタッフを連れて行く。この試みは、当初、興味のある関係者が集い、自発的に訪問していた。現地で出会った長寿者たちの笑顔と話に感動して、ぜひ若い世代にも、「長寿者たちの生活ぶりを見てもらいたい」と思ったのが最初のきっかけだった。長生きの秘訣が食生活にあることを証明しているのが棡原地区であることをぜひ若い世代に知ってほしいと思っている。
棡原地区への訪問は、まさに「百聞は一見にしかず」である。100歳で亡くなられた長寿者宅、そう何年になるだろうか。アメリカの著名な報道番組(日本の報道ステーションのような内容)で、長寿研究の古守豊甫医師とともに共演していただいた長寿者宅には、何年もの間、通い続けてきた。
 いつも、快くわれわれの訪問を承諾していただき、その都度、有意義なお話を聞かせていただいた。とくに食生活は、肉食やインスタント食品、ファーストフードなどを好む若い世代の食生活とはまったく異なり、野菜や穀物を中心とした食生活を続けてきたことは、本欄で何度も紹介してきた。
 長寿者たちの食生活を、そのまま体験できるのが民宿の梅鶯荘だが、ここもABC放送のロケをさせていただいた。古守医師と女性キャスターとの対談、当時、この民宿を切り盛りされていた80歳を越す女性経営者の長寿食を調理する光景を撮影させていただいた。
 古守医師は、お会いするたびに、ご著書を恵送いただいた。筆で、御礼状とともに私の氏名を書かれ、サインが付記されていた。一言一言、文章には、いつも温かい心のこもった一文が記されていたご著書は、私の書架に大切に保管させていただいている。

長寿者たちの食生活の中身
 若い世代を連れた棡原地区訪問の理由は、長寿者たちの食生活を体験することにある。欧米風食生活に慣れた若い世代にとって、棡原地区に住み長生きをしてきた多くの人々が食べてきた食事を食べて、味をかみしめることで、かつての食生活の実態を学ぶことができるからである。
 私自身は、毎年、梅鶯荘で長寿食を食べてきたが、飽きることはなかったし、今も美味しく食べている。魚や肉は食卓にはのぼらないが、「キビごはん」、大麦をペースト状にして自家製の味噌をつけて食べる「オバクごはん」、皮つきのジャガイモを油でいためた「セイダノタマジ」、旬の野菜の「てんぷら」、手づくりの「コンニャク」、具だくさんの「味噌汁」、手製の味噌で野菜をタップリ入れて煮込んだ「ほうとう」・・・そして古守医師が好んで食された「酒まんじゅう」は地元の名物になっている。
 長寿者宅では、大概、自家製の味噌づくりをしてきた。100歳で亡くなられた長寿者宅にも、大きな味噌樽があった。取材させていただいた長寿者宅でごちそうになった食事は薄味で、とても美味しかったことを思い出す。

若い世代を”長寿の郷”に連れて行く必然性
 棡原地区を訪れた多くのことを学んだが、長寿には食生活が大きく関与していること。腸内細菌の善玉菌を増やす食物繊維中心の食生活、塩分は少なく、もちろん水や空気も関与している。急坂にある畑での作業=運動、支え合う心等々・・・都会に住む人々が見習わなければならないことばかりだ。
 車社会で歩かなくなった、肉食を中心とした食生活で動物性たんぱく量の過剰摂取、塩分の多いインスタント食品、ファーストフード、栄養過多・・・その結果、糖尿病患者の増加をはじめとする生活習慣病の多発。それが日本の国民総医療費を40兆円に押し上げた大きな要因となっている。
 古守医師は、何度も警告した。子供が親よりも先に死ぬ”逆さ仏現象“にならないよう、「今のうちから緑黄色野菜を中心とした食生活の実行と運動、ストレス解消の三本柱の実践こそが、健康体の維持・向上に結び付くことになる」ことを肝に銘じるべきである。
 政府はいま、健康寿命延伸を推進している。このゴールヘのヒントが、棡原地区にあることを伝えたいと思っている。
 若い世代を毎年、棡原地区に連れて行き長寿食を体験する必然性がここにあるのだ。
 

連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第24回 忘れ得ぬ人々の笑顔"
山本武道

“長寿の郷”を訪ね長寿者宅を何軒もうかがった1985年のある日、長寿地区取材チームは、3人の長寿者にお会いした。取材チームが綴ったレポートの中身を紹介しよう。筆者は私と、もう一人、女性記者。
 「腹の悪くない人は長生き・・・」
 一人目の高齢者は、こんなタイトルでつづった。
 当時93歳の女性長寿者は、小柄で丸顔のぽっちゃり美人。赤みが罹った頬は若い者顔負け。笑うと、口元がオチョボ口になり、女優の田中絹代さん(故人)に、どこか面影が似ている。
 女性長寿者は、23歳で棡原に嫁ぎ、3人の子供を産んだ。長女を山菜で亡くし、二つ上野ご主人も63歳で失っている。現在は、67歳の長男と孫家族の4世代がともに住む。
 統治遺体は、昔から養蚕業が盛んで、機織りが嫁入りの第一条件とされてきた。お正高齢者も、機織り名人の一人だ。若い時は、一日中、機織りが仕事で、その合間をぬっての畑作業にいそしむ。
 戦後は、事情があって一時、東京で暮らしたこともあった。そのせいか、言葉に鉛はない。そして再び棡原に戻ってきてから、つい最近までは泣け作業に精を出してきた。
 最近では、購買のきつい畑での作業は危険だから、と家族が作業を中止するように、と伝えるものの、いっこうに耳を貸さない。
 「腹の悪くない人は長生き・・・」と話す女性長寿者。棡原地区を何度も訪れて分かったことは、決して人を悪く言わない、常に感謝の気持ちを忘れない、物事にくよくよしないことが、心をゆったりと持たせる結果となっている。<BR>
 棡原地区に住む長寿者たちは、本当によく笑い。日焼けした笑顔は素晴らしい。シミの少ない顔は、「ネバネバ食品(里芋)を良く食べるから・・・」と専門家は指摘しているが、どのうちの庭に里芋が植えられている。
 食生活は、自動車道路が開通するまでは、当地で取れる大麦(オバク)を主食とし、泡、冷えなどの雑穀、イモ類、豆類、野菜を中心とし、白米は年に数回の祭りのとき以外は口にしない。
 ところが自動車道路が開通したことで、白米がどんどん入り、肉食が食卓にのぼるようになったし、コラーもジュースも、甘いお菓子もたっぷり。インスタント食品の入手も簡単になった。
 歯は総入れ歯だが、何でも食べる。一瞬、自前の歯ではないかと思えるほど、入れ歯はしっくりとおさまっていた。老化に伴う歯茎の退化が少ないためで、このこと一つをとっても体の組織が非常にしっかりとしていることを裏付けている。
 そして何よりも私たちを驚かせたのが、頭が非常にクレバーであることだ。物忘れはしない。質問に対しても即座に答えが返ってくる。われわれの話にも、じっくりと耳を傾ける。嫁と姑とのドロドロとしたものはない。何ともうらやましい限りである。若い世代も、長寿者たちを敬い尊敬している.


連載『長寿の郷(棡原地区)が語る』
22回目 忘れ得ぬ人々の笑顔

山本武道

百聞は一見にしかず

 私の手元に、アメリカで人気の報道番組(ABC放送)のスタッフが来日し、古守豊甫医師と長寿の故郷を取材したビデオテープがある。30分番組だが、長寿の故郷に生きる人々が克明に描かれている。
 
このことについては撮影風景も紹介したが、貴重なビデオテープである。棡原を題材にした書籍はたくさん発行されている。古守医師が筆を執った書も、何冊もある。長寿の論文もさまざまにある。しかし、長寿地区を真正面から取り上げた、外国の取材班はそれほどないと思う。
 非常勤講師を務めた大学で、生徒たちに長寿の故郷の話をしてきた。生徒たちから、「棡原に行きたい」との要望が出て、学校側の許可を取り、夏休みに行った。
 長寿の故郷の入口、鶴川にかかる橋の右手にある記念碑から車で15分ほど、天皇皇后両陛下が立ち寄られた『長寿館』で昼食を取り、なぜ高齢者たちが壮健で長寿なのか。険しい急坂を登り降りして日常生活を過ごしていたこと。食生活も、肉食はせずに、もっぱら野菜中心の食物繊維たっぷり・・・。ヌルヌル食品の代表、里芋をふんだんに取り入れる食生活・・・。学生たちは、興味深く私の話を聞いてくれた。 まさに、『百聞は一見にしかず』である。話を聞くことも大切だが、やはり自分の目で見て確かめることができるのが棡原である。

棡原を訪れるようになってから分かったこと

棡原を訪れるようになってから、健康であることの重要性を痛感するようになった。ただし、なるべく寝たきり状態にならないように予防をしなければならないことの大切さを、棡原に住む高齢者たちから教えていただいた。
 
人との触れ合いの重要性も教えていただいた。毎年1回の訪問でしかお会いすることはできないが、高齢者宅を訪問させていただいた折には、いつも快く歓迎していただいた。
 
ところでABC放送の取材班が来日してから、かなりの年月が経過しているが、つい最近、ふとその時の模様が、走馬灯のごとく蘇ってきた。
 
彼らが滞在中、たくさんの高齢者たちが取材に協力された。取材が9月であったことも幸いして、現地で行われた元気な高齢者たちが集まった老人会の模様もビデオに収めることが出来たし、私と長年親しくしていただいた高齢者たちによって催されていたゲイトボール大会にも、キャスターが飛び入り参加したときも、高齢者たちに歓迎していただいた。 
 
ABC放送の取材班が日本有数の棡原に辿り着いたのか。彼らは、番組づくりのために、多くの国々で情報を収集したと聞いた。この話を耳にして、私は即、「今までの直生活は誤りだった」と、アメリカ人の食生活の過ちをレポートにまとめたマクガバン上院議員のことが頭に浮かんだ。
 マクガバン上院議員は、世界各地の長寿者たちが実践してきたことをまとめ上げた結論が、自国の食生活の誤りだったのだ。そのゴールが、「棡原にある」と主張したのは日本のジャーナリストだった。

連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』

第21回目 忘れ得ぬ人々の笑顔
山本武道


長寿になるための食べ物

 これまで紹介してきた“長寿の郷”の物語は、いうまでもなくノン・フィクションである。今もなお多くの人々が生活している。私が、ちょくちょく通いお訪ねした長寿者は、ちょうど100歳となったときにお亡くなられた。
 とてもダンディで、アメリカの著名なABC放送によって、世界中に向けて放映されたドキュメンタリー番組に出演された際には、背広を着こなして杖もつかずに背筋を伸ばして歩かれる姿がビデオに残されている。
 腸内細菌研究の第一人者の光岡知足農学博士によれば、長生きの要因一つに、「便秘をしないこと」がある。便秘をすれば、腸内に悪玉菌が増えて体に悪さをする。だから不断の食生活は、善玉菌のビフィズス菌を増やす食物繊維をタップリと摂取することだ。
 光岡博士は、実際に長寿者たちの便を採取して、便中にどれだけの善玉菌と悪玉菌が棲んでいるのか調べているが、光岡博士ご自身も朝食はヨーグルトにきな粉をまぶしてダンゴ状態にして
 食べておられる。
 そういえば近年、ヨーグルトや乳酸菌入りのドリンクが良く売れている。味もさまざまだが、安価で美味しい。世界三大長寿地区のフンザではヨーグルトは欠かさない。世界の長寿地区の研究で何度も現地を訪れている自然医学界の森下敬一医学博士も、玄米・菜食の食生活の必要性を主張している。
 棡原地区の高齢者たちも、自給自足による玄米・最初の生活を実行している。ベストセラーとなった名著『玄米・菜食の効用』を著者である牛尾盛保医博も、その必要性を説いた一人である。
 長寿地区研究の大きなポイントは、肉食をしないこと。もっぱら野菜や穀物中心の食生活を先祖代々受け継いできたことにある。ところが、である。長寿地区に肉食を中心とした食生活が流入するように、死亡の要因に生活習慣病の罹患者が目立ってきたのだ。
 糖尿病、心臓病、がん。日本の生活習慣病の三大疾患であり、死亡要因の上位に挙げられている。私たちが住む都会は、最近では野菜を中心とした食生活の実行や街中のレストランで出されるランチを頼むと、「白米になさいますか、雑穀米になさいますか」と聞かれるようになってきた。こんな会話が、ごく日常的に当たり前になってきたのだ。専門のレストランも登場しているし、展示会でも「オーガニック」専門のフェアに人気がある。
 
共著『長寿村・短命化の教訓―医と食からみた棡原の60年
 この連載でも紹介したが、古守豊甫医師と鷹嘴テル元教授との共著『長寿村・短命化の教訓―医と食からみた棡原の60年』には、医師の立場から栄養学者の立場から、それぞれなぜなのかを記している。
 お二人は、長寿の要因を分析し、実際の食生活の事態を追う一方、親より先に亡くなった、いわゆる”逆さ仏“現象の人たちの食生活を調べた結果、生活習慣病により亡くなった方たちが多かったことも突き止めた。
 道なき道を突き進み街に通った高齢者たち。町に行くには、3時間も4時間もかけていた。しかし、車社会の到来によりアスファルト道路が開通したことで、町と長寿地区との横行が頻繁になり、近代食が入りこんできたことで、若い世代の食生活は次第に変化していった。
 共著は、こうした経緯を追い続け克明にレポートした。ドキュメンタリー風で、とても読みやすい書である。
 顧みれば、昭和生まれの私たちが初めてインスタントラーメンのコマーシャルを見たとき、「わずか3分でラーメンが食べられる」に感動したことを覚えている。
 インスタント食品は少なかったこともあるが、立ったまま街中で食べられるハンバーガーにも手を出した。コーラも飲んだ。今やこうした食は、健康志向となった今、ハンバーガーには野菜がタップリと入れら、コーラは“ダイエットコーラ”が売り出されと人気を集めるようになった。
 話しを戻そう。連載の何回か前で中学校で古守医師が講師に招かれ、中学生と保護者達に食生活の重要性を話したことを書いた。私が注目したことは、講演後に中学生たちが講演の感想を書いたことだ。
 もう一度読み返してほしい。自分たちの食生活が、いかに良くないか反省していたことである。反省をして、祖父や祖母が長生きをしている要因に、食生活があったことを痛感したことである。
 若い世代は、どれだけ食生活に気を付けているかはわからない。
 しかし、古守医師の応援の中から、体に良い食と悪い食の見極めができるようになれば、大きな前進と言える。古守医師の講演を聞いた中学生の中で、どれだけ体に良い食生活を実行し、将来の健康寿命の延伸に寄与するか期待したい。
               ◇
 なお、棡原にご一緒させていただいたビフィズス菌研究の光岡知足農学博士にお会いすることになりました。その時の思い出話、高齢者たちとの交流についてお話を聞こうと思います。


連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第20回目 再び古守豊甫医師とのこと その3
山本武道


健康寿命の延伸に役立っている食生活

 
古守豊甫医師と光岡知足農学博士との出会いは、1冊の書だった。高齢者たちのお腹には、たくさんの有用菌〈善玉菌)が、棲んでいることを突き止めた光岡博士の研究成果は、マスコミによってたちによって紹介されていった。
 乳酸菌に関する書だけでない。飲料やサプリメントの多くが開発された。
 光岡博士は、健康講演会に引っ張りだこ。お腹を健康にすることが、長生きは欠かせないことがクローズ・アップされたからだ。
 光岡博士は『お腹に住む有用菌を増やす食事が肝心」と言い、一方の古守医師は、「ビフィズス菌のエサとなる食物繊維を多く摂取することだ」と強調。
 互いの説は一致。お腹の環境を正常に保つことの重要性を公表するなど、互いの立場を尊重しつつ、高齢者たちの腸内環境が正常に保ち健康長寿、つまり健康寿命の延伸に役立っていることが判明したのだ。
 
要介護状態の高齢者が少ない

 そういえば高齢者たちが住むむ地には、要介護状態になる高齢者は極めて少なかった。私が、再三、訪れた長寿地区で耳にした介護状態のケースは1件しかない。寝たきり状態とならない秘訣は、若い時から急坂を登り降りた強靭な体力を支えた食生活だったのだ。
 かつての武士は、素食であったが、重い刀や谷鎧を着て合戦場を走り回った。その体力の素は、肉食いや白米ではなくよってではなく、体の素を作る素食であったと言われている。
 長寿地区の高齢者たちは知らず知らず、毎日の食生活によって、健康な体づくりをしてきたことになる。
 私たちの健康な体づくりは、高カロリーの食生活に偏らず、野菜を中心としたバランスの良い食事の励行が大切なる。そのお手本となるのが、”長寿の郷”にある長寿食である。
 民宿の梅鶯荘に行けば、作り方を教えてくれる。少少量の多いのが気にかかるが、完全食をしたヤング世代に聞くと、翌日の排泄状態はいつになく良好だったそうだ(しかも量も多い)
                                                次号に続く。

連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』

第19回目 再び古守豊甫医師とのこと その2
山本武道


  古守豊甫医師と交わした日々。いまもって忘れられない良き日であったと思う。
  ところで古守医師が長年にわたり研究した成果は、どのように関係者に伝わっているだろうか。執筆された著書は、どのくらい残っているのだろうか。
  私の手元には数冊ある。すべて実体験に基づいた“長寿の郷”の歴史を綴った名著だ。私宛に届いた手紙も何通かある。古守医師は、取材に訪れた私を快く迎えていただき、ともに長寿食を食べた。いつも、一つひとつていねいに長寿食の由来を説明してくださった。そして手紙をいただいた。
 “長寿の郷”への入口には、大きな石碑が建立されている。石碑の裏には古守医師の業績が記されているが、ここから山道を登ってゆくとこの地区で1軒しかないコンビニが見えてくる。ここを、やや下った地の一画に長寿館が見えてくる。
  この長寿館の2階には長寿に関係した書が取り揃えられているが、残念ながら古守医師の著書は数少ない。上野原市内にある図書館に行ってみたが、やはり著書は少ない。大きな業績を残されたのにもかかわらず、著書が見当たらないのは、なぜなのかわからない。
  甲府市内には、古守医師が開業した古守医院があるが、そこに、どのくらいの資料があるかはわからない。私は、いつの日か古守医師が長年にわたり培った資料や著書をはじめ展示する資料館が建てられることを願っている。
  この“長寿の郷”に生まれた多くの住民たち、全国各地から訪れたたくさんの人々。そして、“長寿の郷”を離れて都会に住む人たちにとっては、やはりこの地は、なつかしい故郷である。
  古守医師にとっても、第二の故郷であったに違いない。古守医師と100歳で亡くなられた高橋忠直さんを主人公としてアメリカのABC放送が取材した画像には、“長寿の郷”の画像が残されている。ABC放送の取材スタッフは、きっと日本の心を、この“長寿の郷”で感じ取っていただけたのではないかと思っている。
  私は、ABC放送の取材現場に立ち会った。彼らは真剣な目で“長寿の郷”を見て回った。
 ファーストフードやコーラの氾濫によって“肥満大国”となったアメリカ。そのアメリカでは、国を挙げて対策に取り組み始めた。その中心は食生活である。


連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第17回目 古守医師が棡原中学校で講演 その3
山本武道


■書を読むよりも現場に行き体験(食べる)すること
 
私にとって、古守豊甫医師の講演内容は、以後の取材活動に大いに参考になった。たくさんの書を読み学ぶことも良いが、自分自身も現場に行くことが何より大切なことだと思う。まさに、「百聞は一見にしかず」である
 そういった意味では、古守医師の講演は、まさに生きた学問であった。高齢者から、昔の話を聞くことも・・・。毎年、高齢者宅を訪れて食事をごちそうになり、昔話に花を咲かせたことも再三。むろん、私が“長寿の郷”について語ることはないが、古守医師の話は実に面白かった。そして学ぶことは多かった。 
 例えば素食と粗食。粗食は、「粗末な食事」の意味合いが強い。それに対して素食の意味は、体の素をつくる食事のことだと聞いた。棡原に住む長寿者たちが、先祖代々受け継いできた食事こそが素食である。
 棡原に住む長寿者たちは、私たちが日常的に口にする肉類は、ほとんど口にしない。もっぱら自家製の野菜と雑穀が日々の食事の素になる。
 現代栄養学で育ってきた私自身、粗食はわかるが、素食という二字も当初は理解できなかった。今でも、「“長寿の郷”の食事は粗食。だから肥満者は一人もいない」と言う人々は多く存在する。しかし、野菜を中心とした食事、食物繊維タップリの食生活によって善玉菌が増え便秘知らずになることは科学的に証明されている。
「長寿者たちが代々受け継いできた食事こそが素食であり、まさに長寿者たちの体の素をつくってきた食事のことである。“長寿の郷”の食事=素食を見習うことが健康を保つことになる」と古守医師は中学生と保護者にも伝えていた。
 実は先に紹介したが、かつて街に出るには何時間もかけて山を登り下りして、強靭な体を作ってきた高齢者たちが長寿な要因には、長い間に培われた先祖代々受け継がれてきた食文化にあったのだ。
 
■日刊紙に掲載された古守医師の論文
 『健康を守る伝統の食文化』

 
2000年3月5日付の山梨日日新聞は、『健康を守る伝統の食文化』のタイトルで古守医師の論文を掲載した。
 『今年の冬も寒さは厳しく、元旦には毎年、5〜6輪、寒紅梅が開くのが10日も遅れた。その代わり熱い粕汁を朝な夕なに、美味しくいただけるのでありがたい。わたしの少年時代のわが家では、冬ともなれば大量の酒粕を求めて毎日粕汁をつくってくれた』との書き出しで、“長寿の郷”の伝統食を紹介している。
  酒粕には、腸内細菌の活性化、耐糖化の改善、抗潰瘍作用、鉄欠乏性貧血の鉄吸収能力と肝機能向上、免疫力の増強、発がん物質の毒性回避をはじめ健忘症、認知症予防に役立つ西部にはパーキンソン病とうつ病に有効な物質が発見されている。
「その量が、たとえ微量であっても日ごろから粕汁にして取っていると病気の予防に役立ち。これはまさに『未病に治す』である」とも記している。
 本連載で紹介した長寿者たちが好んで食べてきた「セイダノタマジ」についても触れている。
 棡原では、ジャガイモのことを『セイダ』という。江戸時代の甲斐の名代官、中井清太夫が、ジャガイモを救荒作物として奨励し、農民を飢餓から救った報恩から今も『セイダ』呼ばれている。
 『タマジ』とは、小粒くらいという意味がありジャガイモの出来損ないとも言われている。皮ごと味噌と油で炒める棡原独特の料理法である。 
大麦をペースト状にした『おばく』には、自家製の味噌を付けて食べる。雑穀入りごはんも美味しい。野菜を中心とした具がたくさん入っている『ホウトウ』、古守医師が好んで食べる『酒まんじゅう』・・・まさに健康食そのものである。


連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第16回目 古守医師が棡原中学校で講演 その2
山本武道


古守医師の講演後、生徒たちが、
寄せた感想文の数々


 棡原中学校における古守医師の講演に、感銘を受けた生徒たちの反応は次のようなものであった。
 「なぜ、ゆずりはらに住む老人は長生きをするのか、食生活を通してわかった。インスタントモノを食べて、外遊びの少ない私たちよりも全然健康だと思う」
 「先生の話を聞いて、ゆずりはらの食生活が、こんなに変わってしまったのだなと少し寂しく感じました。今住んでいる、棡原のことを何も知らなかったことを痛感しました」
 「いつも当たり前の食事をしているけれども、今自分たちの食生活が危機に陥っている事を考えさせられました」
 「長寿がなんで素晴らしいのかわからなかったけれども、やはり何歳になっても正しく、いくつになっても自分自身ででき、明るく胸をはって生きている姿はとても素敵でした」
 「うちの家でも祖父、祖母とも元気で、毎日畑で作業をしています。自分でつくった野菜を毎日、私たちに食べさせてくれる祖母の料理こそが長生きの素であることがわかりました」
 「棡原に住んでいても知らないことだらけでした。麦、ヒエ、アワ、豆、野菜を食べることが長生きにはとてもよいことがわかりました。ヒエ、アワは毎日食べられないけれども、野菜はできるだけ食べるようにします」
 「昔と今の食生活の違いがよくわかりました。昔はずっと歩いたり、豆類やイモ類などが主食で、肉はほとんど食べていないお年寄りが長生きをしていることがわかりました。今の生活は、車で移動し。肉やジュース、お菓子などはいけないと感じました」
 こんな意見もあった。
 「このままでは長生きできなくなってしまうと思いました。食生活によって、キレルという現象も減らすことができると思いました。今の食生活を見直して、昔の食生活に直していきます」
 「しっかりと体の事を考えて食べ物を選ぼうと思います。そして心も体も、しっかりとした大人になれるよう頑張ります」
 「家では、イモ、ほうれん草、じゃがいもなど、たくさんあって、今も食べています。トウモロコシはモチにいれて食べるととてもおいしいです。里芋は大好きです。でも長生きの素になることは知りませんでした」
 生徒たちの意見は率直で、古守医師は「今から、しっかりと先祖代々受け継がれてきた伝統食を食べ続けてほしい」と感激していたことを思いだす。

長寿地区を訪問することの意味は
長寿食を続けてほしい


 「お父さん、お母さん、なぜ、この地区が長寿なのか認識して欲しい」と呼びかけ、講習会はは幕を閉じた。
 講演後の中学生たちの感想をいくつか紹介したが、平成10年に講演会が開催されてから17年後の今、生徒たちは30歳を越している。古守医師の教えを守り、長寿への道を辿っていることだろう。
 古守医師から、お呼びがかかり参加した中学校での講演会。それから歳月は、まさに“光陰矢のごとく”である。あっという間に17年が経過してしまった。長年にわたり古守医師との交流を続けてきた私にとっては、中学生たちの笑顔は忘れられない1シーンであった。
 古守医師との出会いがきっかけとなって、毛髪を分析することで、不足している栄養素が把握できることも知った。たくさんの長寿者とも出会った。
 古守医師は、とても筆まめな方だった。お会いするたびに手紙をいただいた。筆でしたためた手紙は今もなお大切に保管している。著者も何冊もいただいた。いただいた著書には必ずサインが記されていた。
 地元の医師会報に掲載されたレポートや論文の写しもいただいた。食事をご一緒しながら、代用教員時代のお話を聞かせていただいた。高齢者宅を巡回診察されたこと、日本医師会から最高賞を授与されたこと。長寿地区への入口となっている鶴川にかけられている橋を越した一画に建立されている記念碑。
 毎年、若い世代を連れて“長寿の郷”を訪問するたびに記念碑の由来を話し、石碑の裏に書かれている長寿地区の物語を説明してきた。
 かつて天皇皇后両陛下が、この地をご訪問された。全国から長寿地区を訪れる際の、拠点となっている長寿館に来られたのだ。会館には記念写真が掲出され、会館前には記念碑が建立されている
.


連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』

第15回目 古守医師が棡原中学校で講演 その1

山本武道

■平成10年12月5日、古守医師を講師に
中学生55人と保護者が集まり食生活セミナー

 
ある日の午後、長編の原稿を書き終えた時だった。
 “りーん”電話が鳴った。
 「はい、山本です」
 「もしもし」
 電話は、聞き覚えのある声の持ち主だった。
 「あ、もしかしたら甲府の古守先生ですか!」
 「はい 古守です」
 古守先生から、突然の電話だった。いつもは、私から古守医院に連絡して看護婦さんに取り次いでいただいていたから、直接の電話は今回が初めてだった。
 「今度の土曜日、こちらにきませんか」
 こちらとは、長寿地区のことだ。平成10年12月5日の午後から、棡原中学校で古守先生が、食事について講演するとのことだった。聴講者は同校の中学生55名と保護者が参加するのだという。依頼は同校の校長先生からだった。3年生が社会に出たり、上の学校に行く際に、基本となる食事について、学んでおこうという試みだったのだ。
 テーマは、『これでいいのか中学生の食生活〜心の教育は食生活から―長寿のゆずり原に学ぶ』であった。

 
古守医師が説く「日本人の健康長寿のための食生活」
 「今の子供たちが好む代表的な食事は、高タンパク質、高脂肪食、低食物繊維食、低ビタミン食である」と指摘する古守医師。これからは、「ゆずりはらの長寿者たちが食べてきた伝統食に目を向けよう」と呼びかけた。
 長寿地区では、かつては食物繊維の摂取量は多かった。戦前には70g摂取していたが、戦後になると僅か30gに減ってしまった。それが一般の農村になると、さらに減って20gになっていた。
 棡原地区に伝わる食事は五穀文化、芋食文化、緑黄野菜文化、発酵食品文化など、代々伝統食、そして自分の生まれた土地から産出するものを、旬に応じて摂取する身土不二を受け継いできたのが、長寿地区の人々だ。
 古守医師が説く「日本人の健康長寿のための食生活」(長寿村棡原の教訓より)とは以下の通りだ。
 (1)主食は、まず「米・麦半々」か「麦・胚芽米半々」とする。ときに玄米、または玄米がゆを食べる。パンは全粒黒パンを理想とする。朝食には、大量の野菜を入れた味噌汁をまず一杯。
 (2)副食は、なるべく豆腐、油揚、おから、味噌、がんもどきなど大豆製品、煮干し、めざし、イワシなど小魚を骨ごと食べ、肉、ハム、ソーセージ、チーズ、 バター、マヨネーズなどを少なくすること。
 青少年は、動物性蛋白と植物性蛋白の比率を半々。動物性脂肪の摂取は避け植物性油を毎日少量摂取する。
 (3)野菜は、種類を多く、人参、カボチャ、トマト、小松菜、春菊など緑黄野菜を多くとる。果物は野菜の代用とならない。コンニャクは、カルシウム分が多くカロリーゼロのため青少年と老人、肥満者にはとくに良い。
 大人も子供もカルシウム不足を補うため、卵の殻の粉末を毎日小さじ一杯飲むこと。大根葉、ホウレンソウ、白菜、冬菜、ゴボウなど葉緑素と繊維分の多いものを、また里芋、山芋、なめこ、オクラなどネバネバの多いものを食べること。
 (4)生味噌、納豆、甘酒、酒かす、ヨーグルト、酒まんじゅうなど食用微生物食品を多くとる。これらと食物繊維とにより、腸内細菌の善玉 ビフィズス菌の繁殖を助け、悪玉のウエルシュ菌を抑えて、がんや成人病、便秘の予防と健康保持に一石二鳥となる。
 (5)海藻のコンブ、ワカメ、ノリ、ヒジキなど、毎日少しずつ。雑穀、イモ類、豆類をも食べるよう心掛ける。ほうとう、干葉汁など郷土職をもっと食べる。コーヒー、ジュース、コーラ、ガム、チョコレートなど、糖分はいけない。白砂糖やめて赤・黒砂糖をとする。インスタント食品はやめて手づくり料理を。
 古守医師は、長年にわたる研究結果をまとめて公表した。
    

連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』

第14回目 棡原地区がアメリカの報道番組で紹介された その5

山本武道

45年間、自給自足の生活を続けてきた白鳥さん
 
2000年にお会いした白鳥さんは、45年間、自給自足の一人暮らしだった。
  早寝早起きの生活を続けてきた。毎日1合のご飯とタップリの野菜、好物はうどん。
  お会いした10年前に大切な息子さんを自動車事故で失った。
 「お腹の病気はしたことはねえよ。お通じだって、欠かしたことはない。硬くもねえやわらかくもない。便秘知らずの日常生活だよ」
  白鳥さんは、笑顔でABC放送のキャスターの質問に答える。取材の終わりは、白鳥さんが大切にする里芋の畑で収穫する白鳥さんの作業風景を撮影。和やかなムードのなかで取材は終わった。
 「サンキュウ!お疲れさま」
  この日の取材は、これで終わりではなかった。次は、白鳥さん宅から15分ほどの地に住む高橋さん宅の取材が待っていた。
  高橋さん宅に着くころには、あたりは薄暗くなっていた。何度も通った坂道にある高橋さん宅にたくさんの取材班が集まり撮影が始まった。周囲は、すでに薄暗くなっていた。
  高橋さんに対するインタビューが始まった。取材班は、本番前の前日に、棡原地区の高齢者の集まりを撮影した後、まずは地元の高齢者たちによるゲートボールを楽しむ高橋さんにキャスターも飛び入りで参加。1時間ほど楽しんだ高橋さんが自宅に戻ってきた。

 
野菜を中心とした具たっぷりの味噌汁は欠かさない
 
「好きな時に起きて、寝たけりゃ寝る。食いもんはうまいし、ゲートボールだってやってる。味噌だって、自分でつくってるよ。ここらへんじゃ、こんな生活当たり前。誰だってやっていたことだ」
  自宅の物置には、樽にぎっしりと詰まった味噌を見せていただいた。
  野菜を中心とした具たっぷりの味噌汁は、毎日欠かさない。白米は食べることはほとんどなく、もっぱら麦飯。
 「いいねえ家族と一緒で・・・」
  高橋さんは、息子さんと娘さんと3人暮らし。息子さんは働きに出て、夕方に帰る毎日だ。昼間、高橋さんは急坂にある自分の畑を耕す日々だったが、さすがに90歳を越してからは自宅の庭で野菜を作っている。
  高橋さんの顔は日焼けしていたが、シミ、ソバカスは少なかった。
 「タバコは、ずっとすってるよ」 
  キャスターは、白鳥さん同様にスベスベの肌の高橋さんに、その秘訣を聞いた。
 「何しろ、急坂を歩き詰だったよ」
  炭焼きに精を出した高橋さんは、重い木々を背負って炭焼き場まで歩く毎日だったから自然と足腰は強くなり、90歳を超えてもかくしゃくとしていた。
 「辛かったことはないの?
 「辛かったのは、一度もなかったさ。だけども、ただ一つ辛かったことは、1歳下の家内を亡くしたことだね」
 「長生きの秘訣は何?」
 「棡原地区。ただ生きれるだけ生きる。そのためには常日ごろからの努力と、病気をしないように気を付けてきたことさ。明日のことはわからないけれども、死ぬときはみっともない姿だけは見せたくない」
  高橋さんは、戦前に痔で病院に通ってからは病気らしい病気にかかっていない。

 
■「家族と一緒に暮らし気ままな生活が長生きの秘訣」(キャスター)
 
キャスターの質問は続き、その間に高橋さんはタバコを何度も吸った。世間が禁煙を叫んでいるが高橋さんはヘビースモーカー。とてもおいしそうにタバコ吸っていた。
  取材を続けている間、暗くなっていた。やがて、息子さんが仕事先から戻ってきた。息子さんの息遣いは荒かった。息子さんは、自宅に明かりがこうこうとついている光景を見て、急いで坂道を走ってきたからだ。
  棡原地区では、夜に明かりがこうこうとつくことは少ない。そこで息子さんは、「ひょっとして何かあったのではない」かと、息せき切って駆けつけてきたのだ。
  自宅に戻った息子さんを待っていたのは、取材班のアシスタントの「ビークワイエット(静かに・・・)」だった。
  何のことやらわからない息子さんは、たちまち不機嫌になった。
 「なんで自分の家に帰ったのに、知らない人間がたくさんいるんだ」
  怒りは、ごもっともだった。
  撮影を中断し、キャスターが息子さんに、取材の意図を話し、たくさんのスタッフがいることのお詫びをしてことは収まった。取材修了後は、息子さんと美人キャスターとのツーショットでカメラマンが撮影。私も、 ついでにキャスターとのツーショットを撮っていただいた。
  キャスター曰く、「ミスタータカハシは、痔以外、病気一つしたことがなく、いつも笑顔で、たくさんの人たちとゲートボールを楽しんだり味噌をつくったり楽しい生活をしている。家族と一緒に暮らし気ままな生活が長生きの秘訣なのでしょう。いつまでもお元気でいてね」

 


連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第13回目 棡原地区がアメリカの報道番組で紹介された その4
山本武道

古守医師と話が弾んだ
一人暮らしの高齢者


 「遅かったじゃんねえ」
 取材班の来るのを、いつになるかと首を長くして待っていた長寿者の白鳥さんは、笑顔で撮影班を出迎えてくれた。
 むろん古守医師とは顔なじみ。久しぶりに会う古守医師と話が弾んだ。白鳥さんは独り暮らし。しかし、何の不自由はない。今は電話があるので、何かあればすぐに駆けつけてくれる村の人々。風邪を引いたと言えば、すぐに暖かいおかゆが届く。屋根が壊れれば直してくれる。そんな近所付き合いは昔から続いてきた。
 よくよく考えてみれば、冷暖房完備の快適な部屋で、肉もある、てんぷらもある、カレーライスもある―そんな食生活に慣れ三度三度の食事をとるわれわれの日常生活とは、まったく異なる棡原に住む白鳥さん。
 「ここの生活に満足だよ。だって自分で作った野菜を食べ、好きなときに寝る。不自由だと思ったことは一度もねえよ」
 笑顔で話す白鳥さん。古守医師も、「そう、大切なことだ」とうなづいていた。
 撮影隊の車が、高台にある白鳥さんの家近くに止まった。重い撮影器具を肩に、白鳥さん宅に数人の撮影部隊がやってきた。


撮影隊のために用意した料理には
湯気がたっていた


 
白鳥さんは、撮影部隊にむかって「あんたたちのために、朝早くに起きて作ったんだ。たくさん食べてくれし・・・」。
 丸いちゃぶ台に並べられたのは、白鳥さんご自慢のセイダノタマジ(皮付きのジャガイモを油でいためた)、大きなどドンブリに山のように盛られた里芋。よく見たら湯気がたっていた。撮影隊が到着するのが遅れたので、料理もさめてしまったと思っていたが、そうではなかった。
 梅鶯荘から白鳥さんに電話が入り、もうすぐ到着するからと。料理は温め直して湯気がたっていたのだ。
 さてカメラが回り始め、キャスターが白鳥さんへのインタビューを始めた。キャスターは、 白鳥さんの艶々した肌に興味を持っていた。シミがほとんどない白鳥さんの肌。取材班の意図はここにあった。
 長寿の郷に住む高齢者たちの肌にシミが少なく、みずみずしさを保っているのが、ネバネバ食品の里芋を食べ続けていること、食物繊維たっぷりの食生活、便秘をしない、急坂を上り下りする運動力、水、空気、そしてストレスの少ない日々の生活に培われるなどの相乗効果によってもたらされたのではないかと思う。
 「きちんとした食事をして、腹八分目、野菜を中心とした食事、便秘をしないこと、早寝早起きをすることさ」
 白鳥さんはこう話していた。
 キャスターが、何度何度も白鳥さんの肌を触り確かめていたのが印象的だった。

 


連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第12
回目 棡原地区がアメリカの報道番組で紹介された その3]
山本武道

アメリカの番組で棡原地区の
食生活が紹介されることはうれしい

 
アメリカのABCニュースの報道番組の取材当日、山梨県甲府市内の古守医院から車で来られた古守医師は、足がお悪くなっていて杖を突いて歩かれていた。お昼少し前のことだった。
 「山本さん、このたびはありがとう。長寿の郷がアメリカの番組で放送されると、高齢者たちが食べてきた食事が紹介される。こんなうれしいことはない」と笑顔で話されていた古守医師。
 棡原地区の高齢者たちによって、先祖代々受け継がれてきた食生活は、まさに体の素をつくることができる素材ばかり。一時、大ブームになった五穀米、十穀米。別に店で買わなくても、棡原地区では毎日、食べられる。
 人は、こうした食生活を粗食というが、別に悪い意味ではないものの、何となく粗末な食事という意味に受け取られかねない。そこで私は、粗末なという字ではなく、体の素になるから素食と記した方が良いので、体の素となる素食と書くことにしている。 
 事実、棡原地区の高齢者たちが食べてきた伝統食は、どれも体の素を作ってくれることは、先に紹介した鷹嘴テル教授が栄養学的にも素晴らしい食事あることを証明した。


番組制作の狙いはアメリカ女性の
美しい肌を取り戻したい

 
さてABCニュースの取材に立ち会った。キャスターは矢継ぎ早に質問を古守医師に投げかけた。キャスターの話によれば、アメリカの女性、とくにヤング世代はとても美しい肌をしている。真っ白で、艶々としている。
 ところが加齢するほどに、女性たちの肌は変わってくる。シミ、そばかすが増えてくる。肌は弾力を失い衰えてくるケースが少なくないという。
 女性は誰でも美しくありたいと願うものの、加齢するごとに衰えていく。この状態を何とか止めて、美しくなりたいという女性たちのために、AVCニュースでは女性たちが高齢になってもシミ、そばかすがほとんどなく、艶々、みずみずしい肌を取り戻すためにキャンペーンを始めたのだという。
 お金をかけて綺麗になるといった特別なものではなく、日々の生活を通じて、女性の美を取り戻す方法はないものか? スタッフたちはいろいろと美容法を探した。
 そこへ番組のスタッフの関係者が、私が連載していた“長寿の郷”の連載をご覧になられた方から連絡があり、アメリカのテレビ局が関心をもっている」からとのことで、番組のスタッフが予備調査に来日。古守医師に面会し、長寿地区も実際に見て番組づくりが実現したというわけだ。
 私自身も、長年にわたり長寿の郷を取材してきたが、日本だけでなくアメリカ全土に知られることになれば、と思い番組づくりにしばし協力することになった。古守医師、地元の高齢者たちの会にも取材をうけていただくよう依頼。ゲートボール中の元気な高齢者たちの撮影、食事をしている風景。そして男女の高齢者を説得して出演していただいた。
 さて古守医師と女性キャスターの対談は、延々と2時間も続いた。番組中、長寿食も味わったキャスター。改めて街中で食べる和食とは異なり、肉類はいっさいなし、野菜や穀物中心の食事に驚いていた。


古守医師と番組のキャスター
との対談が延々と続いた

 
アメリカ人の食生活は肉食が中心に、山盛りのポテトフライにハンバーガー、砂糖がたっぷりかかったドーナツ、飲み物はコーラ、ジュース。食べる量は半端ではない。
 アメリカのファーストフードレストランで、コーラをラージ(コップの大きさ)と頼むと物凄い量のコーラを飲むことになる。
 ロスアンゼルスで、一番人気のハンバーガー屋に連れて行ってもらった。なぜ人気なのか。それはメニューにカロリー表示をしていたからだ。食べる際にも健康を気遣うように カロリー表示を始めたところ、たちまち多くの人々が集まってきたのだ。
 しかし、よくよく見ていると、半分のカロリー表示をしたハンバーガーを2個買って、一気に食べていたのを見て、何のためのカロリー表示なのかわからない。
 話を元に戻そう。撮影は順調に続いたが、実は対談が延々と続いたために、次に撮影班が訪れる女性高齢者から、何度も連絡が寄せられていたのだ。
 約束の時間は、とうに過ぎていたからだ。しかも女性高齢者は、撮影班のためにたくさんの量のごちそうを作ってくれていたのだった。(続く)



連載『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第11回目 棡原地区がアメリカの報道番組で紹介された その2
山本武道

■ABCの人気キャスターと古守医師との出会い
 棡原地区をつぶさに調べ歩いたアメリカの人気番組のABCニュースのスタッフたちは帰国。しばらくして、1通のFAXが届いた、改めて取材スケジュールの作成と取材をする長寿者たちとの交渉、そして梅鶯荘での古守豊甫医師とメインキャスタースターとの対談時間の調整など、舞台づくりを依頼された。
 主役の古守医師、そして長寿者は私が懇意にしていただいている100歳間近の高橋忠直さんと白鳥おばあちゃんへの出演交渉、もう一人、梅鶯荘の石井おばあちゃんに了解をいただいた。後は、本隊を待つまでになった。

■民宿で古守医師と対談
 ABCニュースの本隊が来日した。東京・新宿のホテルで待ち合わせをして打合せと夕食。翌日の朝、車で現地(棡原地区)に向かった。まず起点は、中央本線の上野原駅。11時に古守医師と梅鶯荘で待ち合わせ。時間通りに古守医師が来られた。通訳をしていただくのは、ABCニュースの東京支社に勤務している日本人だった。
 古守医師とABCニュースの女性キャスターとの対談が始まった。キャスターの関心事の一つは、先祖伝来の食生活。二つ目は、なぜ、平坦地の少ない地に住んでいるのか。肉は食べないのか等々・・・昼食を含めて2時間あまりは、瞬く間に終わってしまった。ただし時間は13時を回っていた。次の約束は白鳥のおばあちゃん宅で14時。さっそく長寿食を食べた。せいだのたまじ、手づくりのコンニャク、里芋、てんぷら・・・締めは酒まんじゅうエトセトラ。(続く)


連載 『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第10回目  棡原地区がアメリカの報道番組で紹介された
山本武道

■番組制作のコーディネイトを依頼された
 
私は、さまざまな媒体で“長寿の郷”を紹介してきた。何度も棡原地区を訪れて、多くの長寿者たちにお会いした。いつも長寿者たちにお会いするたびに、優しい心と笑顔をいただいた。それに、長寿者たちが先祖から受け継ぐ食事もいただく機会を得たことも忘れることはできない。
 実は、ある日、私が執筆していた新聞社の編集部に、“長寿の郷”の連載を読んだ方から連絡があった。問い合わせの内容は、「アメリカの報道番組の担当者から、世界の長寿者たちの食生活を取材したいとの依頼があった。そこでこれから、長寿者たちが暮らす現場を探そうと思った矢先に、あなたの書いた記事を読んだので連絡をした」とのことだった。
 連絡をいただいた方とお会いして詳細を聞いた。番組の担当者の話では実際に日本に来て現地を見たいとのことなので、ついては長寿地区訪問をコーディネイトしていただけないか」というのが話の趣旨だった。

長寿者たちの肌はシミ・シワが少ない
 棡原地区取材の依頼者はABCニュースだった。著名な女性キャスターによって進められる高視聴率番組で、日本の有数の長寿地区を訪問したい趣旨は、「若い時には美しい肌の女性が加齢するほどにシミとシワが増えるケースが少なくない要因は、食生活にあるのではないか。棡原地区の長寿者たちの肌は艶々としてシミ一つないのは、肉食をせずに里芋や穀物を中心とした食生活にあるのではないか。その秘密のカギを実際に長寿者たちに会い共に食事をして開けたい」だった。
 しばらくして、ABCニュースの先発隊が来日した。まずは番組の主役の一人、長寿研究の古守豊甫医師にお会いすべく、番組先発隊一行と共に古守医院を訪問させていただいた。
 診察室に通していただき、さっそくそこで取材が始まった。といっても本番ではない。あくまでも古守医師から“長寿の郷”の全容を知り、撮影のシナリオ作成するためであった。

先発隊と合流し古守医院を訪問し
  古守医師に会った日

 古守医師の話をお聞きすると、まるで当時の景色がまぶたに浮かんでくるような錯覚に陥ってします。それほどに古守医師の会話術に引き込まれてしまうのだ。
 私は、番組スタッフとともに、古守医師と再会を約束して古守医院を後にした。古守医師とお会いすると、お別れするときには、心はすがすがしい気持ちがからだ中にみなぎっていた。なぜなのかわからない。
 医師として長寿地区を回診する古守医師を長寿者たちは、心待ちにしている。古守医師の診察を受けているうちに、いつの間にか元気を取り戻す長寿者たちは少なくないと聞いた。
 私の母もそうだった。母の主治医は外科医だった。病院に診察に出かけるときには、朝早くから化粧をして、いそいそと出かける光景を見ると、母はまるで恋人に会いにゆくかのようだった、
 母は、診察に行く前体の状態は思わしくなかったが、外科医の診察を受けて話を舌だけで、診察室からでてきたときには、すっかり元気になっていた、自分が信頼する医師の診察は、患者を再生する力を持っているのだと、感心したことも再三。
 話はそれたが、棡原地区ボ長寿者たちも、ご自分たちが信頼する古守医師の診察を受けるだけで、注射や薬を飲まなくても元気を取り戻していたのだと思う。
 しばらくしてABCニュースの本番づくりのためにキャスターやアシスタント、カメラマン、記録係、交通整理をするアシスタント等々が来日するが、キャスターとの出会い、本番、梅鶯荘での古守医師とキャスターとの対談など、次回にエピソードを交えて紹介する。
 今回はこの辺で・・・。


連載 『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第9回目  棡原中学校での出来事
山本武道


 
私が棡原に何度も何度も足を運ぶようになったのは、長寿地区出会った事実を後世に残したいということが一つ。そして二つ目は、棡原在住の高齢者の方々とお会いして、長生きの秘訣を聞き紙面を通じて広く紹介することである。
 さて棡原の高齢者との出会いによって、ストレス社会にどっぷりとつかっている私の心は、とても癒されてきた。昔の話、食べること、険しい山道を歩いたこと、高齢者の素晴らしい笑顔・・・。たくさんの高齢者たちとお会いして、そして用意してくださった食事を食べながらの話は尽きなかった。
 どこに行くにも電車や車で行く生活とは離れられなくなっている私たちの日常生活。何時間もかけて、棡原から街中に行った高齢者たち。アスファルトでしっかりと舗装された道はなく、けもの道のような細い道。時々、馬が谷底に落ちた話。
 そんな険しい道を、棡原の高齢者たちは肥料を運び畑を耕して自給自足の食生活を続けてきた。


■ある日、古守医師からお呼びがかかった

 
ある日、古守豊甫医師から連絡がきた。「棡原中学校で健康の話をするので来ないか」とのお誘いだった。むろん断る理由はなく、古守医師の講演を取材しに行くことになった。中学校での講演は、中学生と父兄が対象に行われたものだ。
 古守医師は、かつて、この地区の小学校の代用教員として赴任したこと。そして気付いたことは、たくさんの高齢者がいて、いずれの人々も元気だったこと。その食生活は麦や雑穀、野菜をふんだんにとってきたこと、それも腹八分目だったこと。便秘をしない、肌が艶々としていて、シミやソバカスがほとんどないこと等々を紹介していった。
 「そういえば、前からこの地区には長生きの高齢者が多いと思っていた」「長生きをしている人たちの食生活は麦とかヒエ、アワ、トウモロコシなどの雑穀。肉は食べずに野菜中心の食事は、ボクたちとは全く違うことが分かった」「これからは麦と野菜を中心とした食事に変えようと思った」
 参加した中学生の感想だった。

 
■高齢者から棡原に生息するムササビの生態を教えてもらう

 
講演の日、古守医師と私を出迎えていただいたのは棡原中学校の校長先生。講演が始まるまで、しばし校長先生と古守医師から、いろいろな話を聞かせていただいた。
 校長先生の話のなかにムササビの生態があった。昼間は動かず夜間になると動きだすムササビ。エサを求めて、移動するときには見事な翼?を広げて一気に舞い降りる。その生態の日常の活動を撮影した貴重なフィルムを見せていただいた。
 ムササビが飛ぶ光景は、テレビでしか見たことがなかっただけに、とても感激したことが記憶に残っている。この話は、続きがある。
 ある高齢者宅にお邪魔した。このときは、東大名誉教授の光岡知足博士とご一緒していた。こちらでも、若い時から食べてきた食事が用意されていた。セイダノタマジ(皮のついたジャガイモを油で炒めた)、里芋、手づくりのコンニャク、ほうとう、そしてドリンクはシソジュースだった。
 「食べて、食べて!お腹空いているでしょ!」
 昼食は、とっくに済ませていたが、断りきれずについ食べてしまった。いつも思うが、「美味しい。お腹にもたれない」・・・それに何と言っても、翌日は間違いなく便通が良く、さわやかな朝を迎えることができる。
 食後、昔話に花が咲いた。高齢者が話してくれたのは、偶然にもムササビのことだった。
 「実は私の家にムササビが棲みついていて、昼は私の寝床にいて、暗くなると、どこかへ出て行く」
 そんな日が続いていたある日、ムササビが戻ってきた。よく見ると2匹。なんと彼女を連れてきたのだった。
 その後、この2匹のペアはどうしたのから聞き漏らしたが、ムササビのことは、地元の人たちで作成している小冊子に掲載されていた。二匹のペアの。なんともほほえましい光景が目に浮かんできた。


■長寿の秘訣はビフィズス菌を増やし腸内環境を良くする食生活に・・・

 
さて、光岡博士と長寿地区を訪れたことを先に記した。腸内細菌の第一人者として著名な光岡博士が、棡原地区の高齢者たちの便を採取して腸内のビフィズス菌の存在率を調べたのが、ちょうど20年前。つまり光岡博士の棡原訪問は20年ぶりのことだった。
 食物繊維はビフィズス菌のエサになる。食物繊維を含む野菜を中心とした食生活を実践することで、腸内にはビフィズス菌が増える。光岡博士の調べでは、東京の老人ホームの高齢者たちと比べて棡原地区の高齢者たちの腸内にはビフィズス菌が多く棲みついているのだ。
 「昔からの食事を続けてきているので、便秘はしたことはないよ」
 一人暮らしの女性高齢者と出会った。食事をするのも畑作も一人。
 「ちっともさみしくはない。何かあれば、近所に住む人たちが駆けつけてくれるので・・・」
 畑には、里芋がたくさん植えられていた。里芋を皮のままゆでて、皮をむいてネバネバの中身を食べてきた。里芋は、棡原地区の常食である。どの家にも里芋が植えられている。そして野菜をふんだんに日常の食生活に取り入れる毎日だ。
 「便秘をすればウエルシ菌のような悪玉菌が増えて体に悪さをしますが、善玉菌のビフィズス菌を増やし腸内環境を良くすることが長生きの秘訣」(光岡博士)
 こうした先祖代々受け継いできた高齢者たちの食生活は、アメリカの報道番組に取り上げられ大反響を呼ぶことになる。このことは次回に紹介する。
 


連載 『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第8回目  私と古守豊甫医師との出会い
山本武道

■古守医師の思い入れを後世にまで受け継ごうと思った

 
 そもそも、私と古守医師との出会いは、今をさかのぼること30年前。1985年のことである。医薬品小売業を主体とした新聞社から、健康をキーワードとした新聞社に移籍した最初の年に、棡原に行くチャンスがあった。
 八王子で車を借りて混雑する甲州街道を一路、棡原に向けて出発。上野原を経て、砂利道を右へ左へと曲がりながら坂を上ること1時間あまり。車酔いで気持ちが悪くなり、しばし車外で休んだことを思いだす。
 現地では、確か高齢者たちの毛髪を採取し分析して栄養状態を把握する専門家のグループがいたし、たくさんの高齢者たちとも出会った。出迎えていただいた長寿者たちの笑顔。さらに古守医師との出会いは、民宿の梅鶯荘だった。
 大好きな酒まんじゅうを、口にほうばりながら話す古守医師。長寿者たちのことを話し始めると、なかなかやまない。こんこんとわき出す泉のごとく、話は尽きない。話を聞いていると、当時の模様が目に浮かんでくる。このようなことが続き、私は古守医師の思い入れを後世まで受け継ごうと思ったのが、この時だった。

■1985年から本格的に長寿地区の取材を始める

 1985年、私は新聞社内に長寿地区取材チームを結成し、本格的に取材を開始。『山梨県棡原地区にみる健やかなる長寿の条件』なるレポートを連載した。
 「高齢社会の到来は、かたわらさまざまな問題を抱えている。例えば認知症高齢者などをはじめとして65歳以上の寝たきり高齢者は60万人を超えているが、西暦2000年には105万人となり、さらに20年後になると3倍の180万人に膨れ上がると予測されている。問題は、ここにある。
 健やかに老いる―誰しもが願っていることだが、実際には寝たきり高齢者は相変わらず増え続いている。国は、高齢社会の到来を踏まえ、新ゴールドプランなど、さまざまな施策を講じ推進しているが、大切なことは自らの体を健やかに保つ自助努力が不可欠だ」
 レポートには、多くの人々との出会いが記されている。
 昭和30年代まで、この地区は最大でも2mの幅の道路しかなかった。従ってバスや自家用車はなく、住民は何時間もかけて学校や街の中心地まで歩いて通った。
 やがて、砂利道の道路はアスファルトになりバスの通行が可能になった。以来、長寿地区の人々の生活環境はすっかり変わってしまった。車社会の到来で、人々は運度不足となり、食生活も一変し、肉やインスタント食品、ジュースやコーラもふんだんに手に入るようになった。

■なぜマスコミに再三取り上げられたのか

 私が30年前にお会いした遠藤悦三さんは、「昔のことを考えりゃ、今の若いもんは天国。何時間もかけて学校に通ったり、隣村に行くんだって歩きづめだった。分けえ人はまるっきし歩かねえ。ちゃんと日本の足が歩きゃあいいのに。車が通るようになってから、まったく楽してる。人間、歩かなくなったら、おしめえさ」とおしゃっていた。
 取材班は、遠藤さんの話を聞いて、とても恥じた。なぜならば遠藤さん宅まで車で行ったからだった。
 棡原地区が、なぜマスコミに再三にわたり取り上げられていたのか。取材班は、関係者に話を聞き役所にも行った。古守医師にも聞いた。
 この地区がクローズ・アップされたのは、高齢者たちの間に寝たきり状態が皆無だったことである。しかも死因もがんや脳卒中といった生活習慣病も少なく死亡のほとんどは老衰だった。
 これは、鷹嘴テル氏と古守医師が法務省の許可を得て、長寿地区の死亡診断書を分析して判明した結果によるものである。
 事実、私が取材班とともに、この目で見た高齢者たちは、元気かくしゃくそのもの。長い間、急斜面にある畑で農作業に汗を流してきたからに違いないと思った。


連載 『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第7回目  長寿と食との相関関係

山本武道

さらに長寿の研究を続けた古守豊甫医師

 
古守豊甫医師のことを、詳しく紹介しよう。古守医師は大正9年に甲府で生まれた。昭和13年に、18歳で棡原小学校の代用教員として赴任。昭和21年、医師を目指して東京医科大学へ。そして昭和29年に古守医院を開業したが、代用教員として赴任した棡原地区のことを忘れることはなかったという。
 古守医師は、自分が見て聞いて、そして知った事実を、長寿学の大家、近藤正二医博に伝え、43年8月に、ともに
棡原を長寿地区として発見することになる。近藤正二医薬は、つぶさに棡原を調べた結果、長寿地区として折り紙をつけられた。
 そして古守医師は毎年8月に、ゆずりはら地区の成人病検診に従事するようになり、高齢者たちの健康状態を調べていったのである。
 「長寿地区ではないか」と思い、高齢者たちの日々の食生活、畑の作業や炭焼きで急な坂道を上り下りする日々の運動、水や空気といった良い環境、住民たちとの交流を続けた古守医師は、今度は長寿と食生活の関係について調べることにした。
 昭和48年、近藤正二医博のすすめで、岩手大の教授だった鷹嘴テル氏(栄養学者)との共同研究を開始。古守医師は鷹嘴教授とともに徹底的に長寿者たちの食生活を調べ、日々の食事が長寿に相関関係があることを突き止めたのだ。
 古守医師の研究は、自身の医学的な立場に加えて、長寿学、栄養学にとどまらず、昭和54年にはビフィズス菌研究の第一人者、光岡知足農学博士との共同研究(高齢者の腸内細菌)で調査を開始した。
 この結果については、本欄で紹介した通りで、ヒエやアワ、トウモロコシといった雑穀や野菜を中心とした食物繊維たっぷりの食生活を伝統的に守ってきた高齢者たちの腸内環境は素晴らしい状態だった。
 生活習慣病と食生活の関係について調査研究を継続していった古守医師の業績は、後に日本医師会から最高賞の名誉に輝くことになった。

長寿の要因は体の素を作り上げる食生活=素食にあり

 
ところで棡原地区に住む高齢者たちが受け継いできた食生活は、以下の内容である。
 「なんだ、こんな食事だったのか。わびしいのでは・・・粗食だったんだ」といった声が聞こえそうだが、実はこうした食生活こそが、長寿者たちを多数誕生させてきたのだ。食生活と長寿との相関関係は、栄養学者の鷹嘴教授によって明らかにされた。長寿者たちが口にしてきた食事は粗食ではなく、私は素食であると思う。つまり体の素を作る食なのだ。
 ◎麦を中心としてアワ、キビ、ヒエ、トウモロコシ、小豆、ソバなどの雑穀
 ◎豆類、バレイショ、サトイモ、山芋などの野菜、山菜が中心の食生活
 ◎保存食としては、コンブ、ヒジキ、ワカメ、酒まんじゅう、ホウトウ
 ◎好んで自家製の味噌(麹は大麦+フスマを使用)を使った野菜たっぷりの味噌汁、土地で収穫した野菜を煮込んだホウトウ

 動物性タンパクと脂肪が少ないので、高齢者たちは顔や全身の皮膚にシミが少ないのが特徴である。
 実は棡原地区では、秋の収穫期から翌年の4〜5月まで1日に1回毎朝主食にサトイモを食べる習慣がある。里芋にはネバネバ成分が含まれているが、このネバネバ成分は粘性物質と呼ばれサトイモのほかナメコ、コンブ、山芋、などにも含まれる植物性物質と、納豆、酵母、サルノコシカケなどに含まれる微生物粘性物質と、ウナギ、ドジョウなどの動物性粘性物質があることが分かっている。
 人間は、加齢に従い肌の保水力、みずみずしさが減って皮膚に小じわが増えて弾力性がなくなってくるといわれているが、棡原の高齢者たちの肌は、みずみずしくシミが少ないのが特徴だ。この要因は、毎月1回主食として食べ続けてきたサトイモのネバネバにあるのでは、といわれている。

連載 『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第6回目  長寿食を体験することができる民宿の梅鶯荘

山本武道

毎年7月に若い世代と訪れる伝統食の味に触れる

 棡原地区で伝統食(長寿食)が食べることができるのは、民宿の梅鶯荘だ。かつて、この民食には、何台ものバスを連ねてたくさんの観光客が来ていた。この模様は、NHKラジオが放送したことで、梅鶯荘は日本国中に知れ渡った。
 梅鶯荘には、たくさんの写真が掲げられている。梅鶯荘の初代経営者、その夫人、古守豊甫医師、有名なタレント、NHKの看板だった鈴木アナウンサ・・・みんな、にこやかに写真におさまっている。
 賑やかだった頃の梅鶯荘は人手もあったから、多くの予約に応えることが出来た。今は、そうはいかない。予約なしでは、長寿食は食べられない。
 私は、毎年7月、若い世代とともに梅鶯荘を訪れている。むろん長寿食を体験し、伝統食の味に触れることにしている。そして、梅鶯荘の住人(長寿食の予約が入ったときだけやってくる)から昔の話を聞くこと。さらに、必ず立ち寄るのが100歳で亡くなられた高橋忠直さんのお宅だ。

■梅鶯荘に泊まり寝床で猪の鳴き声を聞く

 
 梅鶯荘の隣の古い家は、誰も住んでいないが、軒には大きなスズメバチの巣がいくつもある。こんな風情のある棡原地区の民宿で食べる長寿食。出される料理は、どれも美味しい。その土地でとれた食材を使ったものばかりだ。静かななか、心地良い風にあたりながら食べる長寿食は格別だ。
 一度泊まったことがあった。長寿食は、いつも1階の居間で食べるが、宿泊場所は2階。夕食を済ませて風呂に入り、寝床で目を瞑ったものの、動物の鳴き声がしてなかなか眠れない。
 「ブーブー」・・・なにやら豚の鳴き声に近い。梅鶯荘の前の道路を横切り、急坂を下り川の上にかかった橋を渡り、急坂を昇りきった地には、何かを掘り越した穴がいくつも空いている。いったい何だろう。
 梅鶯荘の住人に聞いた。
 「あー、それは猪が掘った穴ですよ」
 夜、泣いていたのは猪だったのだ。猪が増えすぎて畑を荒らすという。
 なぜ増えすぎたのか。猪の天敵はキツネだが、そのキツネが流行り病で倒れてしまい、猪優位になったのだと、翌朝に聞いた。

■酒まんじゅうをこよなく愛した古守豊甫医師
 
 ところで、毎年、体験してきた梅鶯荘で食べる長寿食。一口ひとくち味をかみしめて食べる伝統食。長寿者たちが、笑顔の家族とともに食べる模様が目に浮かんでくる。今年も一緒に食べたヤング世代は満足してくれた。量もけっこうあったが完食。家族へのお土産は、酒まんじゅう。古守医師がこよなく愛した。

 
古守医師は、ほんのり甘い酒まんじゅうが好物。取材でお会いするのは梅鶯荘。長寿食を食べながら話をお聞きしたが、食事の締めは大好きな酒まんじゅうだった。

連載 『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第5回目  高齢者たちの頑丈な体づくりと伝統食

山本武道

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寿研究の古守豊甫医師と栄養学者の鷹嘴テルさんがコラボしてまとめられた名著『長寿村・短命化の教訓』は。医と食からみた棡原の60年を克明に紹介した書だ。
 鷹嘴さんは、盛岡から長寿地区に来られ、古守医師の成人病巡回検診にも参加した。本欄で登場した長寿研究の近藤正二氏の勧めで、共同研究を申し出ていたのだ。
 棡原に住む高齢者たちと会い、直接、話を聞いた鷹嘴さんは、体は小さいながらも、とても頑丈な体系を生み出したのが、地元に受け継がれてきた伝統食にあることを確信した。頑丈な体系は食だけでなく、急坂にある畑へ肥料や水を運ばなければならず、重い肥料や水を肩に担ぎ、のぼる毎日。何度も何度も上り下りをしたことで、頑丈な体系づくりの元となったことは言うまでもない。
 

■頑なに伝統食を食べ続けてきた高齢者


 
かくしゃくとして、毎日、畑に出て農作業をするお年寄りたちに何度もあった。大きな声で話し、古い事柄は実によく覚えている。記憶が凄い。足腰も頑丈だ。よく笑う。そして腹八分目だが、よく食べる。だが、時折、悲しそうな顔をすることがある。
 
かつては、大家族で暮らし、麦、ヒエ、アワ、モロコシといった、今でいう十穀米を食べてき高齢者たちだが、若い世代と共に暮らすとなると、近代食も口にしなければならなくなった。
 頑なに伝統食を食べてきた高齢者たちの口には、近代食は合わない。しかし、ともに暮らすためには若い世代を優先させたいというのが、高齢者たちの偽らざる気持ちのようだ。
 実は、若い世代は、昔ながらの食生活から離れ、肉食、パン、インスタント食品、甘いジュースを口にするようになった。棡原を離れて街に行けば、豊富な食材に出会う。今まで口にしたことのない、甘く美味しい、そして肉も腹いっぱい食べられる、白米も・・・そんな食生活に慣れてしまうと、伝統食を口にする人たちは少なくなってしまった。
 長寿者たちは、身土不二の考えを守り、地元で採れた野菜や穀物を食べてきた腸内には、老人施設と比べて遙かに多かったことが判明した。ビフィズス菌研究では第一人者の光岡知足博士が調べたものだ。

 
■高齢者宅で伝統食を食べる

 
ある日、光岡博士に同行した。取材を兼ねた訪問だった。目的は、高齢者に食生活を聞くためだった。昼食をとってからおじゃましたが、出迎えていただいたご夫婦は、食べきれないほどの食事を用意されていた。
 「すみません。昼は、途中で済ませてきました」
 「あんたたちのために作ったんですよ。一口でもよいから、おあがんなさいよ」
 テーブルに用意されていたのは、皮つきのジャガイモを油で炒めたセイダノタマジ、野菜の煮つけ、皮つきの里芋、手製のコンニャク、そして飲み物はシソジュース、ホウトウも出た。
 「昼食を食べてすぐだったので、ほんの少し箸をつければよいか」とたべたものの、お腹にたまらない食材だったせいか、恥ずかしい話、けっこうな量を食べてしまった。
 「いつも、このようにたくさんつくられるのですか」

 
思わずきてしまった。
 「今日は、あなた方のため・・・」
 「普段は、こんなにつくることはないよ」
 夫婦二人暮らしのため、作る料理は少ない。でも日常の生活で食べている食事は、体の元となる素食。この素食こそが、長寿地区の高齢者たちの体作りに役立ってきたのだ。



連載 『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』

第4回目  高齢者たちの食生活を知る

山本武道


■健康生活を過ごすために〜食環境からのアプローチ


 日本の現代社会の食環境は今、動物性食品過多の食生活の横行と緑黄色野菜不足→食物繊維不足、ミネラル不足の食生活→カルシウム不足、ストレス社会の到来→栄養欠乏、インスタント食品の氾濫→塩分摂取過多、糖質を含む飲料の氾濫→骨成分の欠如、そして季節に応じた食品の摂取ができていない、和食から欧米風食生活への偏り等々、「明らかに生活習慣病発生の“引き金”となりえる食生活がはびこっている」との健康運動家の指摘は少なくない。
 棡原地区に住む高齢者たちに共通していることは以下の点だ。
 ◇食物繊維タップリの食生活を守っていること
 ◇便秘をしていないこと
 ◇肌がツヤツヤ、シミがないこと
 ◇背筋がシャキっとしていること
 ◇家族を大切にしていること
 ◇自給自足の生活を続けていること
 ◇寝たきり状態が少ないこと
 ◇いつも笑顔をたやさないこと
 
 高齢者たちの食生活は、先祖代々、かたくなに麦を中心としてアワ、キビ、ヒエ、トウモロコシ、小豆、ソバなどの雑穀を食してきた。
 加えて、豆類、バレイショ、サトイモ、山芋などの野菜、山菜中心の食生活を受け継ぎ、保存食としては、コンブ、ヒジキ、ワカメ、酒まんじゅう、ホウトウがある。

■ビフィズス菌が多く棲む長寿地区の高齢者たちの体内

 食物繊維をたっぷりと摂取する棡原地区の高齢者たちとビフィズス菌の関係を調べたデータがある。調査は、ビフィズス菌研究の第一人者として知られる光岡知足医博によって行われた。古守豊甫医師が招いた。
 1979年、光岡博士の研究はスタートした。対象者は平均82歳の高齢者たち。私がかつて長寿地区で出会った石井そのさん(当時91歳)、田中ことのさん(84歳)、遠藤悦三さん(82歳)を含む20名の便を採取したところ、総じて平均年齢が高いにもかかわらずビフィズス菌の検出力は遙かに高いことがわかった。
 長寿地区と都心の老人ホームを比較した結果、ウェルシュ菌などの有害菌は老人ホームの高齢者が10人中8人に確認されたが、長寿地区は10人中5人、40代と比較しても遜色がなく、善玉菌と悪玉菌の数が腸内年齢のバロメータに関与し、長寿地区は腸内環境に正比例していることが判明。長寿者の共通点は快食、快眠、快便であることも浮き彫りになった。

■1986年、古守医師と栄養学者の鷹嘴テル教授が名著『長寿村・短命化の教訓』を発刊

 ところで古守医師は、近藤博士、光岡博士に次いで、今度は東北大学名誉教授で著名な栄養学者の鷹嘴テル教授に、栄養学的なアプローチを依頼。鷹嘴教授は克明に死亡要因と食生活との関係を調べていったところ、長寿地区は急速に近代食へと移行している実態が明らかになった。
 長寿者たちは元気ハツラツにもかかわらず、中高年に生活習慣病が多発中高年世代の食生活に警鐘を鳴らすべきであることを鷹嘴教授が指摘。古守医師と鷹嘴教授は、1986年に共著の『長寿村・短命化の教訓』を発刊した。
 同書には、長寿地区に関する研究の成果とともに、親よりも子供が先に死ぬ“逆さ仏現象”の原因を追及し世間に訴えることこそ社会的な責務であるとして、医と食から見た長寿地区60年を克明に調査したデータも含めてまとめられた。

連載 『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』

第3回目  古守医師の功績を知る

山本武道


■長寿学の近藤博士が“長寿の郷”として折り紙をつけた

 
山梨県棡原小学校の代用教員として赴任した古守豊甫氏は。教鞭をとる傍ら、この地を歩き生徒の家庭を訪れて気が付いたことがあった。それは、長生きをする人々が数多かったことだ。このことがきっかけとなって、棡原は後に“長寿の郷”として知られることになる。
 そして古守氏は、医師を目指して東京の医学専門学校に入った。卒業後、医師国家試験に合格した古守氏は、その後も棡原が忘れられずに何度も訪れるようになった。
 「棡原には何かがある。きっと長寿地区に違いない」
 古守医師の、この強い思い入れはやがて長寿の研究に結び付くことになった。当時、長寿の研究といえば、東北大学の近藤正二博士が知られていた。日本国中で長寿といわれる地区を訪れて、実際に現地をつぶさに調べ、”長寿マップ“をまとめた長寿研究の第一人者だったのだ。
 古守医師は、近藤博士に連絡し、「棡原地区が長寿の郷か否かを調べてほしい」と依頼した。近藤博士は、古守医師の要請に応えて棡原地区の調査を実施した。その結果、近藤博士によって「棡原地区は長寿地区である」と折り紙が付けられた。

■棡原の長寿者の食生活に触れる

 古守医師は、この棡原にも診療所を開設し、本格的な長寿研究を進めていった。村人との触れ合い、とくに同じ食生活を体験するにつれて、長寿者たちが実践してきた食生活、つまり、粗食から素食へ・・・単に食べるだけの食から体の素になる食生活への移行に加えて 運動と環境(水、空気、人)・・・まさに“長寿の郷”にふさわしい日常生活だった。
 棡原地区は4km、南北km。80%が山林。井戸、小伏(こぶせ)、日原、尾続(おづく)、登下(とうつけ)、用竹(ようだけ)、沢渡(さわたり)、大垣外(おおがいど)、小木岡(こゆずり)、梅久保、椿、上野原駅の北方にある山岳地帯。平坦地は学校以外になく農業は急坂を利用している。田んぼがないので畑で麦や野菜をつくってきた。
 棡原の長寿者たちが実行してきた食生活は、別にむずかしいものではない。まず一つ目は、一物全体食の実践である。現代人の多くは、大根の葉は捨ててしまい。が、長寿者たちは、葉の部分も食べる。魚も頭から尻尾、骨も臓物も食べる。
 二つ目に、身土不二がある。「郷に入らば郷に従え」・・・そこに住む人と土地、動植物は一体である。その地で取れた食物を食べること。長寿者たちは、こうした食生活を先祖から受け継いできた。


連載 『“長寿の郷”(棡原地区)が語る』
第2回目  長生きの要因は食生活にあった
山本武道


 『週刊がん もっといい日』運営元の日本医療情報出版は、その前身の雑誌『月刊がん もっといい日』で、棡原地区に住む高齢者たちの長寿の要因は、食生活にあることを取り上げた。
 長寿者たちは、身土不二、その土地でとれた野菜などを中心とした食生活を先祖代々、受け継いできた。肉食はせず、ヒエやアワ、トウモロコシ、里芋やジャガイモ、手づくりのコンニャク、野菜・・・その結果、高齢者たちは便秘をいっさいせず、肌はツヤツヤ、シミもない。
 こうした棡原地区の長寿者たちの食生活に関心を持ったのが、アメリカの著名な報道番組だった。
 
■アメリカの食生活は誤りだった

 “肥満大国”アメリカの食生活が問題視されたのは、「アメリカ人の食生活は誤りだった」ことを紹介した9000ページに及ぶセンセショーナルな論文が上院議員のマクガバーン氏によってまとめられ、世界に公表されたからだ。
 ハンバーガーを食べ、肉食をし、ジュースやコーラーを飲み、車社会で運動不足・・・いつしか国民の体を蝕んでいったアメリカの食生活。このことを反省し、正しい食生活の必要性を説いた『マクガバンレポート』は、一人の日本人ジャーナリストによって日本に紹介された。
 マクガバン上院議員は、世界の長寿地区に共通している要因を突き止め、その結果が食生活にあることを克明に紹介しながら、アメリカ人の食生活を見直し、健康国として再生する必要性を指摘した。
 『マクガバンレポート』を日本に紹介したのは、健康問題のスペシャリストとして食の問題を追求してきた今村光一氏だ。
 “長寿の郷”の食生活こそが、長寿の元となることを訴求するだけではなく、実際に“長寿の郷”を訪問し、高齢者たちの食生活を自ら体験。食物繊維たっぷりの食生活を自著に記し「食生活のゴールは棡原地区である」と結んだ。
 さて、冒頭に紹介した報道番組のことだが、アメリカの女性たち、なかでもヤング世代の肌はシミ一つないが、加齢するほどに肉食を中心とした食生活を続けたことで、肌は荒れ、シミやソバカスに悩む女性たちが急増し、著名な報道番組では女性の美しい肌を取り戻す方法を探し求めていたのだ。
 高齢者になると、シミが多くツヤもなくなるアメリカの女性たち。こうした現象を食い止め、美しい素肌を取り戻す情報を求めていたときに、私が書いた連載を読んだ方から、 「著名な番組が、美しい素肌を取り戻す情報を探しているので紹介したい」との話があり、番組のスタッフが予備調査のために来日。彼らは、私が棡原地区に案内した。本番はその2か月後だった。

■“長寿の郷の環境と食事


 
“長寿の郷”は、人里離れた山間に沿って高齢者たちが住む家がある。家々すべてが急坂にあるため、水田はなく米はつくれない。もっぱら畑で麦を収穫し、野菜と穀物を収穫する。とくにネバネバ食品の一つ、里芋は、どこの高齢者宅でも栽培している。毎月1回、里芋を主食とする風習があるからだ。
 ジャガイモもよく食べる。民宿の梅鶯荘で食べることができる長寿食にでてくる「せいだのたまじ」は、形の良くない小粒のジャガイモを皮のまま、植物油でこんがりと炒めたものだ。 
 「せいだのたまじ」とは、1787年の大飢饉の際に、種芋を取り寄せ飢饉を乗り切った名代官・中井清太夫の名前にあやかって「せいだ」と呼び、今でもたくさんのジャガイモを作り続けている。
 ジャガイモは、売り物にならいような小さな芋もできる。それを「たまじ」と呼び、捨てずに自分たちの食事のおかずにしてきた。
 長寿食には、大麦をペースト状にした「おばく」がある。手製の味噌をつけて食べる。腹持ちが良く、整腸にすこぶる良い。キビごはんは、甘みがあって美味しい。ヒエ、アワ入りもある。
 女性たちに人気のある十穀米。“長寿の郷”では当たり前のように高齢者たちは食べ続けてきた。
 長寿地区の食事は、まさに食物繊維がたっぷりとりいれることができるとあって、「便秘なんてしたことはねえ」だ。
 食物繊維は、人の体内に棲む善玉菌のビフィズス菌のエサとなる。長寿の郷に住む高齢者たちの体内には善玉菌の数が多い。長寿の郷に住む高齢者の体内には、どれほどの善玉菌が棲みついているのか。
 ビフィズス菌研究の第一人者の光岡知足農学博士(東大名誉教授)の研究によれば、長寿地区の高齢者たち、都内の老人施設、40代の便を採取してビフィズス菌数を調べたところ、長寿地区の高齢者は40代の人々と同程度であったのに対して、東京の高齢者施設の高齢者のビフィズス菌は少なく、悪玉菌の数が多かったことが明らかになった。(つづく)

 
連載『“長寿の郷”が語る』

第1回目 棡原地区は今
山本武道


 
世界の長寿地区として、ビルカバンバ(エクアドル)やフンザ(パキスタン)が知られていますが、実は日本にも長寿地区があることをご存じでしょうか。医学、栄養学、長寿学の専門家によって「長寿地区」として折り紙を付けられた棡原です。なぜ、棡原が日本有数の長寿地区としてクローズ・アップされたのでしょうか。その秘訣は、先祖から受け継いできた食生活を頑なに守ってきたことが挙げられます。では、具体的にどのような食生活を実行してきたのか本欄で紹介することにしましょう。 (レポート・山本武道)

■10地区で構成され総人口1071人40%を占め65歳以上の高齢者

 
棡原。知る人ぞ知る日本有数の長寿地区である。私が、この“長寿の郷”を訪ねてから、かれこれ20数年を越えた。この間、多くの長寿者にお会いした。
 棡原に住む高齢者たちは、先祖伝来の食生活を実行し、ある人は炭焼きに従事し、急坂にある田を耕し、街中に行くには山を登り谷を下り3時間はタップリかかっていたから、運動量は都会に住む高齢者たちに比べて遙かに多い。
 この地は、もともと山梨県北都留郡だったが、合併し現在は人口24900人(10000世帯)の上野原市に属している。尾続(おづく)、用竹(ようだけ)、大垣戸(おおがいど)など10地区で構成されており、2015年6月1日現在の総人口は1071人(男547人、女524人)。
 このうち65歳以上の高齢者は総人口の41.1%(440人)、75歳以上の後期高齢者は233人、実に総人口の21.8%を占有している。
 ちなみに65歳以上の人口構成比は以下の通り。
 ◇65歳〜69歳・・・105人(男52人、女53人)
 ◇70歳〜74歳・・・102人(男47人、女55人)
 ◇75歳〜79歳・・・82人(男42人、女40人)
 ◇80歳〜84歳・・・67人(男22人、女45人)
 ◇85歳〜89歳・・・50人(男16人、女34人)
 ◇90歳~94歳・・・25人(男8人、女17人)
 ◇95歳~99歳・・・7人(男2人、女5人)
 ◇100歳以上・・・・2名(男1名、女1人)

 
■長寿地区へのスタート地点に建立されている石碑「長寿村 棡原」 

 
日本有数の“長寿の郷” 棡原は、東京・新宿から中央高速に乗り、渋滞がなければ約1時間半あまりで行ける。スタート地点は、同地区を縦断する鶴川に架かる橋の右手にある「長寿村 棡原」と記された石碑が目印になる。石碑には、棡原のことが克明に紹介されている。
                   ◇
 鶴川の河岸段丘に発達したわが棡原は 山紫水明 耕して山頂に至る 古来、村人は健康で人情に篤く、粗衣素食、耕雲種月の日々を楽しんできた
 穀菜食を主とし 肉食を嗜まず 女性は多産且つ母乳豊富 老人は皆天寿を完うし まさに身土不二の桃源郷である
 昭和四十三年盛夏 東北大学近藤正二名誉教授と 甲府市古守病院院長古守豊甫博士父子により はじめて長寿村としての折紙を付けられた
 以来内田厚生大臣の視察 在ブラジル森口教授ら多数の学者の調査研究により 世の脚光を浴びるに至った
 顧れば昭和十三年春四月 十八才の青年古守氏は 棡原小学校の代用教員として赴任すべく山行三里 途中鶯がしきりに鳴くここ登下沢の地に一憩した 在任一年 東京医専に進学して医師となるや この山村には何かがあるとの疑問を抱き続けた
 この直感こそは長寿村発見への啓示であり 尓来甲府市における医業の寸暇を割き 情熱を傾けて棡原住民の健康管理と指導に当たった 同時に土着の生活の知恵たる風俗 習慣 食生活の研究を行い 名著「長寿村棡原」に問うた
 昨秋 これが武見太郎日本医師会長の認めるところとなり 最高有功賞の栄誉に輝いた
 不老長寿は人類の悲願である 特に高度の公害下に在る現在ほど 国民大衆が健康と長寿への渇望を 医学に期待している時はない
 この秋に当たり 同志相図り 長寿村の栄光と使命を永く後世に伝えるべく 汎く江湖の熱望を結集して この地に記念碑を建てた
 願わくば 日本医学における長寿学発祥の礎とならんことを

  
昭和五十二年四月十日
                        山口民蔵揆
                       内藤香石書

                    ◇
■医学、長寿学、栄養学の立場から専門家が長寿地区として認めた

 長寿地区の棡原は、石碑に登場する古守豊甫医師によって発見されました。
 古守医師は、さらに長寿地区として評価を得るために、日本国中を歩いてきた長寿学の第一人者の東北大学の近藤正二博士にも協力を要請。近藤博士も長寿地区として折り紙を付け、栄養学者の鷹嘴テル教授にも参加を仰いだ。
 棡原は、医学、長寿学、栄養学のそれそれの立場からのアプローチによって、長寿地区としてクローズ・アップされるようになったのだ。
 私が古守医師にお会いしたのは、20数年前になる。古守医師は、常に棡原地区に住む高齢者たちの食生活に注目されていた。石碑には素食と書かれている。素食とは、体に素となる食のことだ。
 棡原に棲む高齢者たちが、頑なに守り続けてきた食生活こそが、まさに「長寿食」であり、今日、われわれも見習うべき食事というわけである。
 「お医者様にかかったのは、いつ頃だったか。確か痔で東京に行ったことを覚えているが、それ以外は病気一つしねえ。何か秘訣は?って、よく聞かれたが、別にたいしたことはやっていない。ただ、先祖から伝わった食事は欠かしたことはねえよ。肉は食ねえし、もっぱら、この土地でとれた野菜、穀物を食ってきただけ・・・」
  私と長年親しくしていただき100歳で亡くなった高齢者は、生前、お会いするたびに、こう話されていた。炭焼きで生計を立てていた高齢者の日焼けした顔はシミ一つなく、肌はツヤツヤとしていた。
 その要因は食生活にある。(続く
 


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クローズ・アップ
世界中が注目の“免疫療法”による治療・再発予防効果最新ガイド
専門家16人が語る『別冊 ライフライン21 がんの先進医療』

http://gan-senshiniryo.jp/

  
三人に一人が死に、二人に一人が罹患する「がん」。手術、抗がん剤、放射線の三大治療が続けられてきたにも関わらず、相変わらず増え続くなか、近年、“第四の療法”としてクローズ・アップされているのが免疫療法です。なかでも近年、「免疫抑制を解除する」ことの重要性が指摘されるようになりました。
  では「免疫抑制を解除する」とは、いったいどのようなことなのでしょうか。発行された『別冊 ライフライン21 がんの先進医療』では、次世代がん治療として世界中が注目する免疫療法、とくに「免疫力が変える がんの治療・再発予防効果」について専門家16人が克明に言及しています。

■主な免疫療法について網羅し中立的に比較できる形で掲載
 「がん治療は、ひたすらがんに対する攻撃力を高めていく時代から、免疫抑制という、がんの防御機能を解除し、体がもともと持っている免疫の力で治療する方向へとシフトしようとしています
  これからは、免疫抑制を解除するための薬剤が中心となる可能性があり、それと並び新しい薬の開発だけでなく、免疫抑制の解除をテーマとした、従来から使われている薬剤や機能性食品成分の研究も進められています。
  つまり、免疫抑制の解除が可能になれば、従来の免疫療法の可能性も広がります。がんによる免疫抑制で力を弱められていた免疫療法が、潜在的に持っていた実力を発揮し始める可能性があるからです」(編集部)
  免疫療法の解除によって、がん治療は変革期を迎えるなか刊行した同書では、注目の免疫療法について網羅し中立的で専門的な立場で、代表的な各手法の最新研究が紹介されています。
  がん対策は、治療もさることながら予防することも、とても重要なキーワードでもあります。がんにならないようにする一次予防、早期発見・早期治療の二次予防、そしてこれからの時代は、再発・転移を防ぐ三次予防が不可欠です。
  同書では、がん免疫分野の第一人者から、製薬会社・医療機関まで免疫療法の最先端の専門家が寄稿(慶應義塾大学の河上裕教授、東京大学医科学研究所、久留米大学、国立がん研究センター、小林製薬など)。
  免疫療法の効果を飛躍的に上げるためのカギとして注目の「免疫抑制の解除」についても記載。免疫力による治療と再発予防効果について専門家が語っています。
  巻末には、免疫療法を実施している医療施設一覧/先進医療を実施している医療機関一覧/全国がん診療連携拠点病院指定一覧表が紹介されています。主な内容は次の通りです。
<主な内容>
■がんと免疫 基本と最新情報
 免疫療法のこれまでの歩み なぜ今、がん免疫治療が注目されているのか/免疫療法の基礎解説−ワクチン療法と免疫細胞療法、免疫抑制の解除/免疫抑制の最新研究動向/製薬企業の最新研究
■がんワクチン療法
 最新のがんワクチン開発の現状と臨床/がん専門病院における『がんペプチドワクチン療法』開発の現況ーがんの治療・再発予防に向けた免疫療法開発分野での取り組み/テーラーメイドがんペプチドワクチン療法の現状と今後の展望/究極のオーダーメイド治療―自分のがんから作る「自家がんワクチン」
■がん免疫細胞療法
 薬事承認を目指す樹状細胞ワクチン「バクセル」/免疫でがんを治すーがん免疫治療の最前線 患者さん一人ひとりに適した「免疫細胞治療」/再発予防で効果を発揮する「活性化自己リンパ球療法」/隠れたがん細胞も逃さない「BAK療法」/強い免疫刺激を伴うNK細胞大量投与でがんの完治を目指す「ANK免疫細胞療法」/相互作用で効果を高める「5種複合免疫療法」/免疫力を向上させる免疫細胞療法を中心とした4つの治療法
■執筆者
河上 裕:慶應義塾大学医学部教授・先端医科学研究所所長
柴田昌彦:埼玉医科大学国際医療センター消化器病センター消化器腫瘍科教授
松井保公:小林製薬株式会社中央研究所主任研究員
今井浩三:東京大学医科学研究所附属病院前病院長・特任教授
安井 寛:東京大学医科学研究所 抗体・ワクチンセンター・特任講師
醍醐弥太郎:東京大学医科学研究所 抗体・ワクチンセンター・特任教授
中面哲也:国立がん研究センター早期・探索臨床研究センター免疫療法開発分野 分野長
笹田哲朗:神奈川県立がんセンター がんワクチンセンター センター長
大野忠夫:セルメディシン株式会社代表取締役社長 日本歯科大学客員教授
矢ア雄一郎:テラ株式会社代表取締役社長
鈴木邦彦:株式会社メディネット取締役事業本部長
関根暉彬:株式会社リンフォテック取締役会長
高橋 傑:株式会社共生医学研究所代表取締役
藤井真則:リンパ球バンク株式会社代表取締役社長
倉持恒雄:せんしんクリニック細胞培養センター長
谷川啓司:東京女子医科大学消化器外科非常勤講師・医療法人社団ピオセラ会ビオセラクリニック院長
 同書は、A4判(表紙カラー、本文126P)、価格1143円+税。
 発行所は、蕗書房,発売は星雲社(TEL:03-3947-1021)。
 発行所は。蕗書房(0467−25−6221)、発売は星雲社(03-3947-1021)


◆がんの先進医療WEBの紹介
http://gan-senshiniryo.jp/
 ・
がんの専門誌『がんの先進医療』のWEBサイト
 
・3月にリニューアルしました・
 ・がん種ごとやステージごとに、患者さんが知っておくべきポイントを専門医が解説。それにより患者さんが、がん治療を理解して納得のゆく治療を受ける手助けをしたい。

 ・
そのほかに、過去の雑誌記事情報や、エビデンスに基づいた再発予防や免疫力を高める方法など、幅広い情報も紹介しています。

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治療最前線
がんの早期発見・治療、そして予防まで――
“技術”と“こだわり”で内視鏡治療を実践
中目黒消化器クリニック(東京都目黒区)院長 田淵正文医師

消化器系のがんを早期で見つけ、治療する上で、なくてはならない存在なのが内視鏡検査だ。胃カメラも大腸内視鏡検査もこの20年で広く普及し、一般的なものとなった。並行して内視鏡によってポリープや早期がんを切除する「内視鏡手術」の技術水準も高まり、開腹や腹腔鏡手術以前の段階での根治できるケースが増えているのは周知の通りだ。しかし、その内視鏡を操るテクニックのレベルは、担当する医師によって大きく異なるのが実情だ。そこで今回は、都内で有床診療所を運営し、高度な内視鏡治療に取り組む田淵正文医師に、内視鏡検査と治療を巡る最近の情勢について話を聞いた。














たぶち・まさふみ
1958年、岡山県生まれ。東京大学医学部を卒業。同大医学部附属病院、東京共済病院を経て、91年中目黒消化器クリニックを開業し院長。東京女子医大、東大医科学研究所、東大腫瘍外科元講師。日本消化器内視鏡学会指導医、日本消化器病学会専門医他。「がん撲滅の会」理事長。

                              田淵正文医師

入院ベッドを持つことで
“丁寧な内視鏡”を実践


「ガンで死なないために〜世界トップレベルの技術を誇る名医が教えるガン予防アップデイト」(明日香出版社刊)という本がある。著者の田淵正文医師は、東京・目黒区で「中目黒内視鏡クリニック」を運営する消化器内科医だ。
  東大医学部を卒業後、同大の関連病院である東京共済病院などで内視鏡のテクニックを磨き、より多くの人に高度な内視鏡技術による検査と治療を提供することを目指して現在のクリニックを開設した。
  同院の特徴は、クリニックでありながら7つの入院ベッドを持っている点。いわゆる「有床診療所」と呼ばれるもので、近年全国的に減少の一途を辿っている。特に経営的にメリットが少ないことから、都市部では“絶滅危惧種”のような状態だが、田淵医師は入院ベッドを持つことに強いこだわりがあるという。
「一人の患者さんの大腸内視鏡検査をするのに、多くのクリニックでは5分から15分程度の時間で行っていますが、私は約1時間かけてじっくり見ています。そうなると、1日で見られる患者の数も限られてしまいます。日中は外来の診療もあるので、内視鏡は夕方や夜の時間帯にかかることもある。検査後のリカバリーを考えると、一泊してもらうほうが患者にとっても私にとっても安心なんです」
  事実、田淵医師のクリニックでは、内視鏡検査が深夜に及ぶことも珍しくない。田淵医師の内視鏡の“ウデ”の噂を聞いた患者が広く国内外から集まって来ることも、病床を持つ必要性を高めているのだ。

講演や著作による啓蒙活動で
「がん予防」への取り組み強化


  田淵医師の内視鏡治療は「完全無痛」で行われる。セデーションといわれる軽い麻酔薬を使って、患者が軽く眠った状態で行う検査だが、田淵医師が麻酔を使うのは患者の不安をなくすことが目的であり、麻酔をかけなくても内視鏡による苦痛を感じることなく内視鏡を入れる自信があるという。
「初めて内視鏡をやり始めた頃は、どうしてもうまく行かない時期がありました。ところが、数カ月経ったある日“ある方法”がひらめいた。試してみると、難しいけれどスーッと無痛で挿入できたんです。その一回で自信が付いた。一度うまく行くと、その快感が忘れられなくなる(笑)。だから夜遅くなっても内視鏡治療をするのはストレスにならないんです」
  大腸をはじめとする消化管の大半は、食べた物が通過する時だけ膨らみ、通常は管が閉じた状態になっている。内視鏡検査をする際には、視野を確保するために空気で管を膨らませるのだが、この空気が過剰に入り過ぎると、たとえ無痛検査であっても、検査後にお腹が張って苦しい思いをすることになる。
  そこで田淵医師は、空気を極力入れずに腸管内を見る技術を考案。これに拡大内視鏡を併用することで、苦しまずに、見落としのない内視鏡検査が可能になったのだ。
「さすがに胃カメラは自分ではできませんが、私自身の大腸内視鏡検査は、自分でやっています」と語る田淵医師。その自信のほどが伺える。
  そんな田淵医師は、「がん予防」への取り組みにも力を入れている。一般社団法人「がん撲滅の会」理事長として各地での講演活動を行うなど、臨床以外の場での活動も増えており、先に紹介した著作などもその一環といえる。
  本の帯と扉には、「私は『ガンで亡くなる方の2人に1人は救える!』と考えています」と書かれている。
  単に医療技術の紹介だけでなく、「医療現場の混乱」「崩壊する日本の医療」、そして「ガンを減らす政治を!」など、高齢化に向けて突き進む日本が抱える“がんの悩み”と、その解決に向けた提言が盛り込まれている。
  小欄の読者には、ぜひ一読をお勧めしたい。

中目黒消化器クリニック

〒153-0043
東京都目黒区東山1−10−13
電話03-3714-0422
http://nddc.sharepoint.com/Pages/default.aspx



統合医療最前線

竹由来成分『バンブーノイド』に抗腫瘍活性作用


 
バンブーノイドという竹の有効成分が強い抗腫瘍活性で注目されている。この研究に携わった筑波大学名誉教授の細川淳一博士によると、バンブーノイドとアガリクスやメシマコブなどのがんに効果があるとされるキノコ類、さらにクレスチンやクマザサなどの医薬品とのマウスを使った抗腫瘍効果の比較試験で、腫瘍の抑制率や消失率でより優れた効果を持つことが明らかになった。

1,000kgの竹から僅か200gしか
抽出されないエキス


 
竹の有効成分である『バンブーノイド』は、1,000kgの竹から僅か200gしか抽出されないエキス。腫瘍内投与で非常に高い効果が確認されており、経口摂取でも優れた効果を示すという。
  マウスを使った試験では、免疫賦活で知られるキノコ類や医薬品との比較試験が行われ、腫瘍の抑制率や消失率で優れた効果が確認されている。
  免疫賦活で知られている『アガリクス』、『メシマコブ』、『ハナビラタケ』との比較試験では、ザルコーマ180の固形の腫瘍細胞をICRマウスの左下腹部皮下に移植し、1週と2週目に腫瘍面積を測定した。
  細胞が根付いたことを確認後、『バンブーノイド』、『アガリクス』、『メシマコブ』、『ハナビラタケ』の投与群に分け、それぞれを1日1回経口投与して定期的に腫瘍の面積、体重、食餌量を測定し、さらに投与開始から28日目に腫瘍を摘出して重量を測定した。同時に解剖検査して、肝臓、脾臓、すい臓の重量も測定した。


腫瘍抑制率は57%、
腫瘍消失率80%に


 
その結果、腫瘍抑制率は、『アガリクス』が19.4%、『メシマコブ』26.7%、『ハナビラタケ』24.6%であったのに対して、『バンブーノイド』は57.0%と2倍以上の数値を示した。
  さらに、腫瘍消失率についても、『アガリクス』、『メシマコブ』、『ハナビラタケ』が10〜20%であったのに対して、80%という高い数値を示した。
  医薬品の『クレスチン』、『クマザサエキス』との抗腫瘍効果の比較試験でも、『バンブーノイド』は腫瘍面積が縮小。重量も最も軽くなり、腫瘍抑制率は『クレスチン』、『クマザサエキス』の60%に対して90%と大きく上回り、腫瘍の消失数も上回ることが確認された。
  一方、抗がん剤の『エンドキサン』との比較試験でも、抗腫瘍効果は『エンドキサン』よりも若干劣るものの、ほぼ近い効果を示した。
  医薬品の『クレスチン』『クマザサエキス』との抗腫瘍効果の比較試験でも、『バンブーノイド』は腫瘍面積が縮小し、重量も最も軽くなり、腫瘍抑制率はクレスチン、クマザサエキスの60%に対して90%と大きく上回り、腫瘍の消失数も上回ることが確認されている。
さらに、化学合成の抗がん剤である『エンドキサン』との比較試験においても、抗腫瘍効果は若干劣るものの、ほぼ近い効果を示した。
「特筆すべきはバンブーノイドには、まったく副作用が見られなかったことにある」(細川博士)
  研究成果は、近い将来、論文投稿する予定という。


細川淳一略歴
 長野県出身(1935年)。東京大学大学院博士課程を修了(1965年)。健康科学、衛生学、環境保健学を専門分野とする。大学院終了後、宇都宮大学講師、東京教育大学助教授、筑波大学教授を経て現在、筑波大学名誉教授、天津職工医科大学客員教授。この間、千葉大学大学院講師、東京学芸大学講師、鶴見大学講師、法政大学講師、明治生命体力医学研究所研究員、上越教育大学講師、TGK―環境科学研究所所長等を歴任。
  現在、国際食品機能学会会長、国際統合医学会顧問、日本スポーツ学会理事、日本教材学会常任理事、日本健康科学学会他学会員、日本ペンクラブ会員、NEDO/JODC日本環境専門家として中国・インドなどの環境改善指導にあたる(2000-2001)
  主な著書・研究論文は、『人体・保健』『子どもと健康』『水と健康をめぐる学術の動向』『β-グルカンとフコダイン ― 健康体をつくり出すその驚くべきパワー』『アディノウイルス様角膜炎の水泳プール感染の疫学的証明と流行対策』『競技スポーツ体験が成人病リスクファクターに及ぼす影響』ほか多数


治療最前線

“治療困難例”の肝細胞がんにも果敢に挑戦
安全性と痛みの小さい外科手術を追求する
関西医科大学附属枚方病院(大阪府枚方市)消化器外科(肝臓外科チーム)准教授 海堀昌樹医師


 手術が不可能と診断された「進行」「超進行」の肝細胞がんに対して、分子標的薬を使ってがんを縮小させ、手術に持ち込む――という治療が、関西医科大学附属枚方病院で行われている。「ソラフェニブ」という分子標的薬を2−3カ月投与することでがんを三分の一程度まで小さくし、外科的手術が可能な状況になったところで切除する、という方法だ。決して簡単な治療ではないが、「打つ手なし」と宣告された患者にとって、その存在は心強い。そんな肝がん治療に対する同院の取り組みを、関西医大外科学講座准教授の海堀昌樹医師に話を聞いた。



















関西医科大学附属病院
大阪府枚方市新町2−5−1
電話072-804-0101
http://www.kmu.ac.jp/hirakata/

     海堀昌樹医師

QOL(生活の質)を維持しつつ
生存期間の延長を目指す取り組み


「この治療を始めたのは3年前。これまで40ほどの症例があり、手術ができたのは3例、うち2例は長期生存を続けています。また、たとえ手術に持ち込めない症例でも、病態制御率は80パーセント台をキープしており、従来3〜6カ月だった平均生存期間が『1年以上』へと伸びています」
  そう語る海堀医師が、現在力を入れている進行性肝細胞がんに対する治療法は、まずソラフェニブの経口投与と、シスプラチン(抗がん剤)の持続動脈注入を約3カ月間投与し、がんの縮小を図ることから始める。ソラフェニブは肝がんに対して唯一承認されている分子標的薬。副作用が強く出ることがあるため、投与後の全身管理が重要な薬とされるが、海堀医師らのチームでは、外科だけでなく肝臓内科や放射線科と組まれたキャンサーボードでの連携を密にし、安全性を確認しながら投与することでがんの進行を抑え、手術の可能性を探っていく。
「がんが小さくなったとしても、腫瘍栓を取ったり下大静脈を置換したりと難度の高い手術であることには変わりはないのですが、一度は『手術不可』と診断された『治療困難例』の患者さんにも手術の可能性があることは事実。まずはそうした状況になっても受け入れている病院があるということを知ってほしい」と海堀医師は言う。
  海堀医師は完全腹腔鏡下肝切除術においても高い実績を持つ肝臓外科医だが、ソラフェニブで縮小してからの肝切除は、安全を考慮して開腹の上で行う。しかし、大きくJ字型に切開するのではなく、必要最小限の「右肋弓下切開術」で対応する。これは術後の痛みを小さくし、しかも手術の精度を下げない(出血量や手術時間などの面で)ため――という目的があってのこと。後でも触れるが、「痛みの小さな手術」を追求する海堀医師のこだわりがあるのだ。
 術後はしばらく様子を見ながらソラフィニブの投与を再開する。万一再発が見つかれば、放射線治療などを組み合わせて、長期的な治療計画を立てて行く。
  現在は枚方市を中心に近隣の市の民間病院等からの紹介が中心だが、海堀医師は「要請があれば受け入れる用意はある」と、積極姿勢を崩さない。

無駄を省いて早期回復をアシスト――
「術後の痛み」も視野に入れた手術を


  もう一つ、海堀医師が力を入れているのが「ERAS(イーラス=Enhanced Recovery After Surgery)」だ。日本語に訳すと「術後回復力強化プログラム」となるこの考え方は、従来当たり前のように行われてきた術前術後の医療行為を一から見直し、無駄な行為や意味のない行為を省くことで、術後の患者の社会復帰を早めることをめざす取り組みだ。
「術前の点滴、下剤投与や浣腸、手術前日就寝後の絶水など、患者の身体活動の早期自立を目指す上で手術が関与する問題点を洗い出し、必要性を検証してみました。すると、手術翌日には三分粥から開始できることがわかりました。他にも、手術直前まで水分の経口摂取をしていても吐いたり肺炎になったりすることもなく、消化管の手術は除いて鼻からの経管は不要なので術後すぐに抜管して大丈夫。下剤も特に必要ないことが分かったのです。こうしたことはどれも昔から『そうするもの』として、連綿と続けられてきただけの行為。それぞれにどんな意味があって、どんな効果があるのかを考える機会がなかっただけのこと。まして、それを行うことで術後の回復が早まるのか否か――など、検証することもなく全国の医療機関で行われています」(海堀医師)
  しかし、それを実施することに意味がない、あるいは早期回復を遅らせる可能性があるのであれば見直すべきだし、医療費削減にもつながる。海堀医師は、あえてその「不可侵」の領域に足を踏み入れたわけだ。
  これに関連してもう一つ、海堀医師が力を入れるのが、先に触れた「手術に伴う痛みの縮小」に向けた取り組みだ。
  低侵襲手術が普及した現在、手術は単に「安全に成功すればいい」というものではなくなっている。合併症が少ないだけでなく、それに伴う痛みが小さい手術を目指すべきだと海堀医師は考える。
  しかし、痛みを対象として考える時、問題となるのが「評価基準」だ。痛みの感じかたは個人差が大きいため、客観的評価が難しいという側面があった。
「医療機器メーカーのニプロが開発した痛みの定量評価装置を導入し、肝がんに対する肝切除術後の時間経過と痛みの推移を検証しました。すると、切開部が大きい、手術時間が長い――等の要因はもちろんですが、年齢が低い、BMI(肥満指数)が低い、アルコール摂取頻度の高い人といったファクターが当てはまる人ほど痛みを強く感じることが分かったのです」(海堀医師)
  これに対して、術後の病棟では鎮痛剤の使用量は少なく、ここに改善の余地があると考えた海堀医師らのグループでは、術後3日目で硬膜外麻酔を止める時に、痛みの有無に関係なくNSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)を投与し、突出痛がある時には増量投与することで、術後の痛みを大幅に軽減できることを突き止めた。
「痛みが改善すれば歩ける。歩ければ腸管の動きがよくなり便が出る。便が出れば食欲が出る。結果として快適に、しかも早期に社会復帰が可能となるわけです」と海堀医師。
  すべてを「患者目線」で捉え、外科だけの領域にこだわらない。医療を俯瞰して捉え、目の前の患者に対して何ができるのかを考え、実践する海堀医師。
  つねに「一つ上」をめざす姿勢が、多くの患者の支持を得るのだ。


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クローズ・アップ

『母とともに訪れた薬局で薬剤師さんからかけていただいた「お大事に」の一言』
薬剤師ソング『紙風船』を作詞作曲したおかっぱミユキさんが語る思い出

  とある薬剤師さんと、街のお好み焼き屋さんで知り合い、「薬剤師ソングをつくって欲しい」と言れたのが、薬剤師ソングを作ったきっかけでした。
「お医者さんなどに比べて薬剤師は、どちらかと言うと、あまりスポットライトが当たりにくいポジションなので、薬剤師の仕事を一般の方にも知ってほしい」とのことでした。
  ご依頼くださった薬剤師さんと、細かく打ち合わせをしながら歌詞を書いたことを覚えています。
  2010年に母をがんで亡くしているのですが、その際に、自宅までお薬を届けに来てくださった薬剤師さんに、あたたかい言葉をかけていただいたことを思い出し、そのまま曲にしました。
 よく考えてみると、私と母との思い出には、薬剤師さんが登場するシーンが何度もありました。子供の頃、白衣を着ている薬剤師さんと、お医者さんの区別がつかず、病院につれてこられたと思ってビクビクしていたこともあったのですが、お薬と一緒に紙風船やおもちゃを貰えるのが、子供ながらに嬉しかった記憶があります。
 一日に何十人もの患者さんと接していらっしゃる薬剤師さん。一人ひとりの患者さんに優しく、ていねいに対応されていて、正直、すごいなぁと思います。
 あの日のときと同じように、今日もきっと、どこかの薬局で、患者さんの心に、「お大事に」が、あたたかく響いていると思います。
 
 おかっぱミユキさんの『紙風船』は、以下で聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=weAJKIvYXVk


治療最前線

新薬投入で進化するC型肝炎治療の効果は
その先にある「肝がん」にも波及する――
キッコーマン総合医院(千葉県野田市)院長代理 三上 繁医師

 日進月歩の医療界においても、ひときわ目立った進化を遂げる分野がある。「C型肝炎治療」などはまさにその最たるもの。かつてはインターフェロン治療に頼らざるを得ず、治療の奏効率が低いだけでなく、副作用のつらさから治療を離脱する患者も少なくなかった。しかし近年、ウイルスの増殖を直接抑える新薬の登場により、従来のような副作用をなくし、高い確率でウイルスを排除することが可能になったのだ。慢性肝炎の治療は、その先にある肝硬変、そして肝がんの予防を考える上でも重要だ。そこで、C型肝炎治療の進化と肝がん予防の最新の話題を、キッコーマン総合病院院長代理の三上繁医師に解説してもらった。














                 
                三上繁医師

最新の抗ウイルス薬の登場で
「脱インターフェロン」が実現


 
まずはC型肝炎治療の現状をおさらいしておこう。
  前文でも触れたとおり、従来はインターフェロンを使ったウイルス排除が治療のベースだった。2001年に「リバビリン」という抗ウイルス薬が登場してからは、インターフェロンとリバビリンの併用療法が行われるようになる。2003年には改良型インターフェロン「ペグインターフェロン」が登場。その後はペグインターフェロンとリバビリンの併用療法の時期が続くことになる。
  2011年にはプロテアーゼ阻害薬「テラプレビル」が登場。C型肝炎ウイルスに直接作用し、ウイルスの増殖を抑え込む働きを持つ薬で、これを従来の「ペグインターフェロン+リバビリン」に加えた三剤療法により、治療成績は大幅な上昇を見ることになる。
  ところが、テラプレビルには貧血や皮膚症状などの重篤な副作用の危険があり、その後副作用の少ない「シメプレビル」が登場したが、これも「ペグインターフェロン+リバビリン」に加える“三剤療法”を踏襲するものだった。
  そんなところに、今年(2014年)9月、従来とはまったく異なるタイプのC型肝炎治療薬が登場した。「ダクラタスビル」と「アスナプレビル」という抗ウイルス薬で、いずれも経口薬だ。これらはC型肝炎治療初のインターフェロンフリー、つまりインターフェロンを使わない治療を実現した。
 「効果は『インターフェロン+リバビリン+シメプレビル』の85%とほぼ同等の数値とされ、何より深刻な副作用がない点できわめて画期的な薬といえます。また経口薬なので治療に伴う患者の身体的負担もなくなり、QOL(生活の質)は一気に向上しました」と三上医師。
  この新薬登場は、まさに「劇的な進化」といえる出来事だったのだ。

ウイルス除去で線維化した肝臓も改善
肝予備能の好転ががん治療をあと押し


 
これにより、C型肝炎治療は急速にレベルアップし、「近い将来C型肝炎は消滅する」とする予測も信ぴょう性を帯びてきたところだが、三上医師は「その先にある肝がんのリスクに目を向ける必要がある」と警鐘を鳴らす。
  新薬によってC型肝炎ウイルスが駆除できても、慢性肝炎時代に線維化が進んでいれば、当然そこにはがん化のリスクが残る。ウイルスが無くなったことで慢性肝炎ではなくなったとしても、肝がんになる危険性は高いのだ。
  慢性肝炎の病態は、肝臓の線維化の程度によってF0からF4までの5段階に分類される。このうち最も程度が軽いF0からF3までを「慢性肝炎」、最後のF4を「肝硬変」とよぶ。
 「これらの病期と1年あたりの発がん率の関連を見ると、F1で0.5%、F2で1.5%、F3で3〜5%、F4、つまり肝硬変になると7〜8%とされています。つまり、C型肝炎ウイルスが排除されても、肝臓の線維化が残っていれば、一定の割合で肝がんになる危険性は残っているわけです」
  ウイルスが無くなることは喜ばしいことだが、それで安心するのは早計ということなのだ。しかし、三上医師はこうも言う。
 「ウイルスが無くなると、固くなった肝臓の線維化が解けるので、病気は改善していくとされています。ウイルスに感染して慢性肝炎になった時の病期の進行にはF0からF1へと一段階進むのに10年かかると言われていますが、逆にウイルスが駆除されると一段階戻るのにかかる時間は4年ほどと言われている(ただし、F4からF3に戻るのにかかる時間は10年ほど)。このことからも分かるように、リスクを確実に下げるためには、慢性肝炎の治療は絶対条件なのです」
  加えて三上医師は、ウイルスを無くす治療の重要性を訴えます。
 「ウイルスが消えれば、それ以上“肝予備能”が悪化することは無くなります。つまり、肝がんのリスクは残るものの、肝不全に陥ることは無くなるわけです。また、万一肝がんができたとしても、肝予備能を気にする必要がないので、がんの治療だけに専念することができます。ウイルスを駆除しておくか否かで、その後の治療内容と成果は大きく違ってくるのです」

ウイルス除去後も定期検査は不可欠
半年〜1年ごとの超音波と画像検査を


 
では、ウイルスを駆除した後は、具体的にどのような対策を講じればいいのか。
 「半年ごとに超音波検査と、腫瘍マーカー(AFP、PIVKA−II)の測定は必須。肝硬変などの“超危険群”の人はこの検査のインターバルを半年ではなく3〜4カ月程度に縮めて、半年から1年ごとに造影CTかMRIによる画像検査をすべきです」
  こうした取り組みを行うことで、もしがんができたとしても、早期で見つけることが可能となる。
  肝がんには外科的手術の他に、ラジオ波焼灼術やエタノール注入療法などの局所療法、血管造影による肝動脈塞栓術や動注療法、分子標的薬のソラフェニブの内服、さらには肝移植や放射線療法など多くの治療法が用意されている。
 「肝がん全体で見た時の5年生存率は38%程度、10年生存率は17%ほど。手術に限定すると5年生存率は63%、局所療法は60%ですが、これらは単発か数が少なく比較的小さいがんに対して適応となる治療法なので、特に手術は、肝機能が比較的いい場合に適応となり、成績もよくなります。一方、がんが多発している場合は肝動脈塞栓術が選ばれるので、生存率は40%ほどになります」
  がんにならないため、あるいはたとえがんになったとしても治療が可能な早期で見つけるためにも、まずはウイルスを駆除しておくことが大前提だということは間違いない。効果と安全性の高い新薬が登場したいま、治療から遠ざかる理由はないのだ。
  特に以前インターフェロン治療を経験して効果が得られなかった人、そしてインターフェロンの副作用に耐えられずに治療を離脱した人は、今こそ再治療を受けるべきなのだ。


キッコーマン総合病院
千葉県野田市宮崎100番地
電話0471−23−5911
http://hospital.kikkoman.co.jp/


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クローズ・アップ
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『胃瘻 平成の一休さんからの助言』<下>

<ティッシュこよりの利点>

(1)胃瘻ろう孔周りをお掃除できる
(2)PEGキットの埋没防止のストッパーの役目を果たす
(3)「少量漏れ防止」
(4)「劇漏れ防止」
(5)「出血漏れ防止」
(6)ティッシュこよりの太さを隙間に合わせ調整できる。
(7)固定用テープで接続チューブを固定しキットを垂直に立てることができる。
(8)固定用テープで接続チューブを固定すればチューブを引っ掛けてPEG本体の抜去を防止できる。
(9)ガーゼに比べて乾きやすく衛生的!しみてきたら「こまめに交換」しましょう。

<PEG増設の目的>

(1)何故PEGか。大きな手術をした後、退院後に在宅で栄養補給ができないのでPEGを造設するのです。
(2)PEGは社会復帰のための大切なツールです。PEGを造設しないと体重が落ち、その度に入退院を繰り返すことになります。
(3)造設・交換手術は医療者の仕事、在宅管理は貴方か家族、あるいは介護職員等々関係者の仕事です。
(4)従来の鼻から管を入れて栄養補給しますか?辛いでしょ・苦しいでしょ・外出できないでしょ。
(5)社会復帰とは会社へ復帰して働くこと。年齢に関係なく自宅で自由な生活を楽しめること。その他の活動。
(6)大女優「森光子」さんもPEGを造設して社会復帰してロングランの舞台公演をなさいましたよ。やればできるんです。

<栄養剤の特色(長所・短所)>

(1)ルインライン・・・長所:詰まりにくく下痢も少なく体内への栄養分の吸収が良く体重増加に繋がる。
(2)ツインライン・・・短所:主原料が生乳なので腐る速度が速い(特に夏場)。AB2箱で400キロカロリー。
(3)ラコール・・・・・・・長所:1箱で済む400キロカロリー。お口から飲んでも美味しく頂ける。
(4)ラコール・・・・・・・短所:主原料が粉ミルクなのでPEGキット逆止弁辺りが詰まり易い。

<ニプロ製1200mlパック栄養剤を入れ使用後の管理(お掃除)>

(1)パックを2組用意する。
(2)70℃位の沸かしたお湯400ml+水200ml目安で栄養剤パックへ投入。
(3)チョット熱めな肌触りを体感したらクランクを少しずつ緩め流します。
(4)終わったらしっかり乾燥させて翌日の使用に備える。
(5)原則は1回切りの使い捨てですが、上手に洗浄し乾燥管理すれば何回か使い回しができます。

<転居して住所が変わる場合>

(1)転居先の病院へ事前に先生から連絡を入れて頂き「紹介状」を持って受診する。
(2)紹介先のPEGのメーカーを事前に調べる。
(3)紹介先の接続チューブメーカを事前に調べる。
(4)紹介先の栄養剤はどのメーカーのものを使っているか調べる。
(5)紹介先の病院で複数のメーカーを用意しているところは少ないです。
(6)メーカーが違うと何が困るのか⇔接続チューブが全然合いません。

<平成の一休さんの闘病記はこちらから>
http://www.ikkyuu.tv/revital.pdf


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がんに挑む企業

「がん患者さんのかけがえのない命を守り、
かけがえのない人生を笑顔で過ごすために・・・」
緩和医療と希少がん領域に特化する
ムンディファーマ代表取締役社長の豊原善弘さん

  がんと闘う患者さんには、抗がん剤の服用による脱毛や吐き気、とてつもない痛みの発症、そして死に対する恐れ等々が伴う。そうした苦しみの解消、QOL向上のために、たくさんの人々が関与している。1991年、日本に誕生した当初から、がんの緩和医療に挑み、がん患者さんのQOL改善に貢献してきたのが、30を超える国々でネットワークを形成してワールドワイドに活動するムンディファーマ日本法人のムンディファーマ株式会社だ。「がん患者さんのかけがえのない命を守り、かけがえのない人生を笑顔で過ごすために・・・」全社をあげて、がんに挑むムンディファーマ代表取締役社長の豊原善弘さんに思い入れを語っていただいた。
     豊原善弘代表取締役社長

10年前からがん治療分野に参入
最初のフォーカスに疼痛管理

 
ムンディファーマ(mundipharma)の「mundi」は、ラテン語で『世界』を意味する。創業者のMortimer D.Sackler,M.D.とRaymond R.Sackler,M.D.兄弟が、1952年にアメリカの製薬会社を買収し事業に乗り出して以来、欧米を中心として世界の30を超す国々でネットワークを形成しワールドワイドに活躍している企業だ。日本法人は1991年に設立されたが、それよりも以前の1961年に日本にデビューしている。
  ムンディファーマ社の日本初の製品としての殺菌消毒剤を明治製菓(現Meiji Seikaファルマ株式会社)から発売したのを皮切りに、日本の製薬企業とアライアンスを組み、さまざまな商品を供給してきた。例えば塩野義製薬とのアライアンスで発売を開始したモルヒネ硫酸塩水和物徐放錠(持続性がん疼痛治療剤)は、がん性疼痛治療で新しい選択肢を提供した。
  そしてムンディファーマは日本法人の誕生を期に、自社開発の機能を強化してブプレノルフィン経皮吸収型製剤の製造販売承認を取得するなど徐々に製薬会社として成長していった。
「がんの治療薬分野に取り組み始めたのは、ここ10年ほどになります。当社そのものが1991年の創業ですので、長い歴史を持った企業ではありません。最初のフォーカスは痛み(疼痛管理)の領域で、今も継続しています。緩和医療の究極の目標は、亡くなる直前まで人間らしい生活を送れるようサポートすることだと考えています」
  がんによる痛みさえ取れれば、がんとの闘いへのチャレンジ精神が芽生え、社会や職場復帰も可能になる、まさに緩和医療とは生きるためにあるのだ。

「がん患者さんのQOLに貢献
できるような啓発活動を展開したい」

「もともと日本の製薬企業に15年間お世話になりましたが、その後、縁があって外資の大手製薬メーカーで製品のポートフォリオ戦略に携わる仕事にも従事していました。そこで、がん患者さんのQOLに貢献できるよう、包括的な緩和医療についての啓発活動を展開しようと企画を立てましたが、事情により、いったん諦めざるをえなくなりました。
  その後、その会社を離れ、別の疾患領域や別の業務領域に挑戦してきましたが、あの時の思いはいつまでも頭のなかに残っていて、いずれ機会があったら実現したいと考えるようになりました。そんななか、緩和医療領域に力を入れているムンディファーマでの仕事の紹介を受けましたが、その瞬間、あのときは実現できなかった、がん患者さんのための啓発活動を、ムンディファーマでなら力いっぱい行うことができるのではないか思ったのです。緩和医療の啓発活動の展開を企画していた前職では、たくさんの関連製品を取り扱っていましたが、医療用麻薬(オピオイド)は残念ながらもっていなかったのです。
  がん患者さんは、とてつもない痛みに苦しまれることが多く、これを取り除かない限りは、がん患者さんのQOLを本質的に向上することは難しいと思っていましたが、ムンディファーマ社は、オピオイドを主要製品に持つ、疼痛管理の分野ではグローバルベースのリーディングカンパニーです。がん治療と向き合う患者さんを支える上で、なくてはならない医療用麻薬を主要製品にもつムンディファーマ社であれば、がん患者さんのQOLを包括的に改善できるような啓発活動ができる、と思ったのがムンディファーマ社に転身した大きな理由です」

医療は数値だけをみるのではなく
患者さんの生活も把握すること

 
緩和医療に使われる薬剤の普及活動。全力を注ぐ製薬メーカーは無数にあるが、どのようにしたら同質化を避けることができるか課題は多い。
「私がやりたいことは、単に緩和医療に使用される薬剤を提供するだけではなくて、ありとあらゆる不快な症状に作用する薬剤を専門的に取り揃えて、包括的に緩和医療の概念を啓発することです。これによってがん患者さんのQOLを高めること、それを全社あげて実践する日本で初めてで唯一の会社となること、これを会社の大きなビジョンのひとつとして定めました」
  かつて循環器の薬剤を担当していた時期があった豊原さんは、上司から以下のような話を聞いた。
「いまだに忘れていませんが、ある患者さんが胸の痛みを訴えて病院に行きました。医師は診察して、『狭心症であろう』と薬を処方しました、ところが胸の痛みはいっこうによくならず、定期的に襲ってくるので、患者さんは別の病院に行きました。そして血液検査を含めて同じような検査を行ったうえで、二人目の医師は『薬を変えてみましょう』と異なる薬を処方しました。
しかし、依然として患者さんの胸の痛みは取り除かれない。そこで3人目の医師を訪れました。医師は、『あなたが、朝起きてから寝るまで、どのような生活をしているのか聞かせてほしい』と患者さんに話し、わかったことは、実はその患者さんは、エレベーターのない団地の5階に住んでいたので、日々、1階から5階まで階段を使用しなければならない。そこで、幾ら薬剤を飲んではいても、毎回毎回狭心症の発作を起こすような日常生活を過ごしていることが判明しました。3人目の医師は、薬の処方はこれまでと同様にして、患者さんに、1階に引っ越すことをアドバイスしたことで、患者さんの胸の痛みはなくなったのです。
  医療は数値だけをみるのではなく 患者さんの生活そのものも、しっかりと把握することが大切です。すなわち、その人の人生に対する考え方にまで踏み込んだうえで、ベストの処方は何かも考えなくてはいけないことを、ことあるごとに思い出しています」

患者さんの「不安」「怒り」「落ち込み」に
どう応えていくかが重要に・・・

  がん医療最前線では、患者さんが医師から、「がん」と宣告されたときから緩和ケアは始まる。がん=死、医療用麻薬の使用=中毒等々、患者さんが、どのような思いで医師の宣告を受け止めたか。あるいは家族の心境は?
「がん患者さんが最初に遭遇することは“不安”であり、次に、なぜ自分だけが、このような思いをしなくてはならないのかといった“怒り”、そして“落ち込み”、最期に“許容”というプロセスを辿ります。こうした流れを患者さんと家族に事前に話して、その先の人生を、より充実したものにすることで前向きな気持ちになれるといったような対応が必要なのではないか、と思います。
 日本は、欧米、とくにフランス、ドイツ、アメリカに比べて、がん患者さんの疼痛管理における医療用麻薬の活用は十分であるとは言えません。がん患者さんへの包括的な緩和医療の啓発を行っていくうえで、まずはその中心となる疼痛管理を向上させていくことは非常に重要と考えています」
  緩和医療にフォーカスしてきたムンディファーマは、現在、末梢性T細胞リンパ腫の治療薬2剤の日本での臨床試験を実施している。一方でもう一つの領域にも乗り出そうとしている。希少がん疾患の治療分野だ。
「症例が少ないために、研究が進みにくいだけでなく治療薬の開発や供給が、ビジネスとして成立しにくいという現実問題も無視できません。希少がん疾患には、白血病や悪性リンパ腫、多様性骨髄腫といった血液を発生起源とする血液がんも含まれますが、いずれも命にかかわる深刻な疾患で、適切な治療法に対するニーズは、ほかのがん疾患と同等に高い。
  こうした疾患領域は、大手メーカーにはなかなか取り組みにくいところですが、患者さんは、治療薬を求めてアメリカなどから薬を個人輸入するなど闘病される一方、国内でも治療薬が提供されるようになる日を心待ちにされています。私たちは、希少がん疾患に苦しんでおられる患者さんが日本国内でいつでも治療薬を入手できるような体制を一日でも早く実現したいと思っています」

小さくとも「業界の宝石」のような
企業になりたい
 
 
具体的には、製薬会社としてのフル機能を備え、医療ニーズの高い特定の疾患と治療領域に特化する企業となること。これまで取り組んできた緩和医療とこれから力を注ぐ希少がん疾患の治療の二つの領域では、いまだ満たされていない強いニーズに対応して全社挙げて取り組むことだという。
「医療機関や医師に情報を提供する役割として、例えばMR(医薬情報提供者)といった仕事がありますが、当社が理想とするのは、がん領域の専門医と肩を並べ対等に議論ができる深い知識を身につけていることはもちろんのこと、死の恐怖と戦っておられる患者さんの気持ちに寄り添い、死と向き合うとはどのようなことなのか、死とは何かについても思いを巡らせ、全人的に、がん患者さんの残りの人生を支援させていただくことがとても大切だと考えています。そのための社員教育にも取り組みたいと思っています。
  当社の進む道は時間がかかるでしょうが、思いを共にできる人財の採用によって、こうした企業ビジョンの達成は必ず実現できると信じています。そして2022年までには、いろいろな方面から、『緩和医療と希少がんのことはムンディファーマに聞きなさい』といわれるような存在になりたい。それまでは、よそ見をせずに、緩和医療と希少がんの二つの領域に全社あげてフォーカスする考えでおります」
  大学を卒業してから来年3月に、ちょうど30年。これまでいろいろな薬剤に関わってきた。豊原さんは、「ニーズを抱える人々にとって、日本にとってなくてはならない製薬会社としての道を歩み成長すること」を全社の決意とするムンディファーマの日本法人のトップとして、多くの人財を集めパートナー企業との協働によって目標の実現に取り組む。
「小さくとも業界の宝石のような企業になりたい」
 豊原さんは、笑顔で語ってくれた。

 

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『Dr Hilda des Arts の想い出』
豪州サザンクィーンズランド大学会計学常勤講師 Dr小村輝代


  ヒルダ・デス・アーツ博士は、オーストラリア東海岸のブリスベン市より少し内陸に入った、人口15万人のイプスイッチ市に、イプスイッチ市民の寄付とボランティアにより運営される地域型イプスイッチホスピスを創設しました。
  ボランティア主体の運営形態を作り上げ、そのボランティア教育に力を注ぎました。またさらに「シニアネット」と呼ばれるインターネットでのネットワークを構築し、シニアのコンピュータ教育に熱心に関わり、このシニアネットをオーストラリア全土に定着させました。

  1998年3月、イプスイッチ市役所市民センター長のイアンさんに「紹介したい人がいる」と連絡を受け、3台のコンピュータが設置された独立移住型の介護施設内の1部屋のヒルダの家に案内され、体中で嬉しさを表現している、非常に明るい、活力溢れる83歳のおばあちゃんのヒルダを紹介されました。
  話し好きで、いつも新しい知識情報を得ようとする彼女は、2002年2月に亡くなる1週間前まで、本当に元気に「隣国の脅威に日本政府はどう対応するのか」とか議論好きで、彼女の興味は、国内外の政治から教育へと様々に広がっていました。
  ヒルダはドイツでの生い立ちとドイツでの新聞社経営、オーストラリアへ移ってからのホスピス建設への経緯やホスピス運営と、様々な話をしてくれました。ニアネットの立ち上げ、そしてその促進にオーストラリア全土だけでなくアメリカ、イギリスへとシニアネットの重要性と意義の講演に飛び回ったヒルダの情熱と偉大な業績を皆様にお知らせしたく書き留めました。

  ヒルダはドイツで1915年に生まれ、5歳まで両親とイギリスに住み、またドイツへ戻り、両親とドイツの様々な地域を転々とし、大学も移りながら社会学の学士と経営学の博士号を取り、戦争が始まるころは東ドイツに住んでいました。
  戦争が始まり、ロシアの攻撃から逃れるためにどんどん北へ上がり、戦争終了時はドイツの北にいたそうです。戦後、そこで両親が牛小屋を改造して新聞社をはじめ、それはすぐに本の出版会社へと大きくなり、それは「クラウゼンアンドボズ」といい(彼女の旧姓はクラウゼンなので) 現在も大きな出版会社として経営されています。
  ご両親から譲り受けた出版会社を、スタッフの子供を預かる幼稚園も兼ね備えたり、社会福祉の考えを取り入れた会社へと成長させました。戦後,まもなくにしては社会福祉の理念をも取り入れた、とても画期的な素晴らしい会社経営をしていたのだと思いました。
  そしてヒルダの人に対しての優しさが、もうすでに彼女の経営の仕方に出ていたのです。ヒルダの実経営学のセンスは、この会社経営で磨かれたようです。彼女は、自分の会社経営に関する記録を何冊も持っていました。ホスピスの立ち上げからの記録の並んだファイルを見せていつも教えてあげるからと話していました。
 
  出版会社は順調に成長し株式会社となり、いい会社であったからでしょうか、株式を買い取られ経営権を他の方に譲ることになったようです。そしてヒルダは、不動産関係に手をつけ、アイルランドのホテルを購入したのも、その時期だと話していました。
  しかし、家庭的には丁度そのころお嬢さんの一人が、がんの診断を受け、1967年に20歳で亡くなったのです。それはヒルダに大打撃を与えたようです。
 「体中に管が巻かれ、家族が死に目に会えない、医者に病室から追い出され死を迎えているわが子に近づけない、これは間違っている。」と強く思ったと話していました。
  「死の間際に家族が付き添えるようなことはできないのか」そう思った彼女は、いろいろな本を探し、イギリスで始まっていたホスピス運動を知ったようです。
  アイルランドでのホテル経営は2年間だけだったようですが、アイルランドの人たちの持つ地域社会の連携と人の暖かさを知り、それはドイツではなかった地域の人たちの結束で、それにも大きく影響され、その出会いがイプスイッチで地域に密着した、地域の人たちの力で作り上げる、地域の人たちのための、今のイプスイッチ・ホスピスの経営の考え方の基礎となったのだと思います。

  ヒルダは移民を考え、それはヨーロッパ以外の国でそして地域の連携の暖かさを保有する場所を探したようです。彼女はコンピュータで探したようです。そのころイプスイッチ市は地域の連携の良さが強調されていたそうで、ヒルダはオーストラリアのイプスイッチ市へ移民を決め、1977年(62歳) でイプスイッチ市へ越してきました。
  イプスイッチへ越すやいなやヒルダは、ライフ・ラインでの仕事と選び、年金はもらえる年だったので収入を得る仕事はしなかったようですが、ライフ・ライン(自殺者の訴えを聞いてやるボランティアの電話受付)で14〜15年勤め、ライフ・ラインの経営改善に深く関わり、ライフ・ラインの全国組織的基盤、ボランティアの養成プログラム等を構築し、イプスイッチライフ・ラインの理事長をも務めたのです。
  理事長の仕事だけでなく様々な仕事に従事し、その中の市民へのキャンペーン運動が「地域密着のホスピス」建設へと広がって行ったようです。
  ホスピス建設は、ヒルダの夢でした、その夢を、その当時、ユナイティング教会のイプスイッチ地域の代表者であったエリック・モアー牧師と分かちあっていました。
  彼女の業績は認められ、それは1984年のことで、ヒルダは「イプスイッチ・シティズン・オブ・ザイヤー」としてその年、表彰されました。ヒルダのボランティア養成という業績に対して、与えられたものです。
  その頃、老人介護施設や緩和介護の分野でボランティアの需要が非常に多く、ヒルダの功績で数多くの人がボランティアへ参加し、ボランティアだけのロースター(労働時間割り表)ができるほどの人数が集まったそうです。
  ボランティアの人たちは、さらに緩和介護の研修コースを勉強し、その人たちが基となり、ボランティアで運営される今現在のイプスイッチホスピスの形が作り上げられたようです。 
イプスイッチホスピスは6床あり、短期レスパイト介護やディ介護、在宅での緩和介護などイプスイッチ市地域の全体の緩和介護の中心となっています。
  ヒルダは、愛する親族を失った残された親族に対しての癒しブリーブメントサポートも積極的に取り入れ、イプスイッチ市民への素晴らしい緩和介護体制を構築したのです。
  このボランティア中心でのホスピスの運営は、画期的なイノベーションでオーストラリア全土でも広く知られ、高く評価されています。
  ヒルダの興味は、 ホスピス建設だけにはとどまらず、シニアネットを構築したことはよく知られていますが、シニアネットを通して様々な文化の人の?がりへも貢献し、アボリジニの老人たちのコミュニティーへもシニアネットを広げたのです。
  ヒルダは1984年のイプスイッチ市民賞、1995年クィーンズランド州知事賞、1996年にはロータリクラブ賞、1997年オーストラリアシニア賞などヒルダの業績を称えた数々の賞を受けています。
  ヒルダとの出会いは本当に私の宝です。ヒルダ 本当に有り難う。

Dr 小村輝代:PhD (Griffith), MB by Research(QUT),MC(UQ), MBA(KOBE)
  神戸で生まれ神戸育ち、神戸市との姉妹都市シアトル(アメリカ)に高校2年時交換留学生として1年間レニアビーチハイスクールで学び、同高校卒業。関西学院大学商学部に進む。その後神戸大学経営学部にてMBA取得(博士課程前期終了)。大学卒業後、神戸市の高校教員として1997年3月まで奉職。
 
1993年にブリスベンに交換教師として1年間赴任した経験をもとに、1995年神戸の地震により自宅を失い、1997年4月オーストラリアブリスベンへ移住。  1997年アカデミック・アシスタンス会社を立ち上げオーストラリアの会社登録をし、ビジネス短期ビザ取得。
  1998年よりコミュニティへの貢献にも力を注ぎ、イプスイッチ市を中心にブリスベンやゴールドコーストにて日本専門職の老人介護施設研修、緩和ケア等の研修やフォーラムの開催に関与現在に至る。同時に本人の専門である会計学の常勤・非常勤講師としてクィーンズランド大学ビジネススクール会計学部、クィーンズランド工科大学ビジネススクール及び、グリフィス大学ビジネスクール会計金融経済学部にて奉職。 

  その間クィーンズランド大学で商学修士学取得とクィーンズランド工科大学で、研究によるビジネス修士学を取得、グリフィス大学にてPhD を取得する。現在サザンクィーンズランド大学にて会計学常勤講師として企業会計学連結財務諸表論、会計学理論担当、現在に至る。
その他専門職資格:
2006年クィーンズランド州立ブレマテーフ ダイバーショナルセラピストディプロマ取得/2005年クィーンズランド州立ブレマテーフ ダイバーショナルセラピストサーティフィケートIV取得/1999年クィーンズランド州専門学校(TAFE)ワークプレーストレーニングサーティフィケートW取得


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「ここにこの人」
『人の人生を支える医療の提供が不可欠な時代が到来した
個別化医療を実践する博心厚生会・阿部博幸理事長


疾病状態の把握のみならず、ライフスタイルや生活習慣、人生観など患者一人ひとりの情報を加味し医療を提供する個別化医療がクローズ・アップされている。「これからは、臓器を診る医療から人を診る医療へ、そして人の人生を支える医療の提供が不可欠な時代が到来した」と指摘する医療法人社団博心厚生会の阿部博幸理事長も、その一人だ。疾病の予防から早期発見・早期治療、治療後のフォローアップに至る医療を提供する一方、一般社団法人国際個別医療学会理事長として活躍する阿部医師に個別化医療について聞いた。


医療法人社団博心厚生会の
阿部博幸理事長

1年かけて『個別化医療テキストブック』を翻訳

「2006年、米国上院に”ゲノミクス及び個別化医療法2006と題する法案を提出した米国大統領バラク・オバマ氏に捧ぐ」―こんな書き出しで始まる1冊の書がある。2012年12月にその翻訳書が発行された『個別化医療テキストブック』だ。
  著者はKewal K.Jain博士、翻訳者は、医療法人社団博心厚生会理事長の阿部博幸医師。生涯健康のために、その人らしい生き方を支える医療を求めて、病気の予防から早期発見・早期治療、治療後もフォローアップ医療を提供する一方、一般社団法人国際個別医療学会理事長としても活躍中。

家族構成や職業など患者固有の情報も・・・

「多くのさまざまな医療資源のなかから、その人に合った治療法を抽出して最適な医療を提供しようというのが、個別化医療に取り組む最初のスタートでした。患者固有の情報を中心にして治療法を組み立てていくのが、これからの医療であるとの結論に至ったのです。
  どんな薬を使用して治療するのかについては、ゲノムやバイオマーカーなどのバイオテクノロジーによる情報を中心にして組み立てることで、より論理的な治療が進んでいくわけですが加えて治療に影響を及ぼすと考えられる患者の環境要因、例えば医療機関に通うには遠方なのか通院可能な地区に住んでいるのか、一人暮らしか、あるいは大家族とともに住んでいるのか、さらには職業や経済力など、患者固有の情報を加味させなければ医療としての個別化は成立しません」

世界の国々に普及の波が広がりつつある

 
こうした医療の実現を模索していたなかで、阿部医師が出会ったのが『個別化医療テキストブック』。阿部医師は、「ぜひ多くの医療関係者に知らしめるべきだ」と丸一年をかけて翻訳した。
「ゲノムを中心とした医療も大切だが、治療に影響を及ぼすと考えられる環境要因など、患者個人の情報を勘案して最適な治療を提供する個別化医療は社会に大きく貢献する・・・といったことが書かれていました。さらいは、がん、心臓疾患、脳神経系、リウマチ、認知症など予防分野、栄養学的にも適合するとも記されていました。
  世界的に個別化医療の波は広がりつつあります。日本も新しい医療の時代を迎えましたが、個別化医療に対する認知度はまだ低い。しかし政府主導による医療イノベーション戦略のなかで、患者個々の状況に合った個別化医療を進めようとしていますので一段と普及するでしょう。人の人生を支える医療の提供が不可欠な時代が到来したのです」

生涯にわたって頼りにされる主侍医でありたい
 

  ところで阿部医師は、医療法人社団博心厚生会(九段クリニック、アベ・腫瘍内科・クリニック、九段クリニック水戸)の理事長として、「パーソナライズド・メディシン」の普及と実践に力を注ぎ、がん治療に挑み、患者さん一人ひとりに適した治療を提供してきた。
  がん細胞を死滅・除去させるためのコア治療として、免疫細胞療法、化学療法、放射線治療、腫瘍温熱療法、さらには、治療効果を高めたり、患者のQOL向上に有効である高濃度ビタミンC点滴療法、キレーション療法、メディカルアロマテラピー、4Dバイオサウンド・セラピー、サプリメント相談などだ。
 そして、「大切なことは患者さんが、がんに立ち向かう気力と体力づくりをサポートすること」と指摘する阿部医師は、「国民から、生涯にわたって頼りにされる主侍医でありたい」として、スタッフとともに日常の診療に携わっている。

予防医療・在宅医療・介護を推進する調剤薬局のための情報専門紙
調剤薬局ジャーナル Pharmacy Journal

<媒体概要>
■創刊:2013年620
■体裁:タブロイド判・通常16ページ
■発行部数:2万部(偶数月発行)
購読料:6000円+税
■配布先:調剤薬局/相談薬局/医薬品卸/製薬企業/健康機器企業/健康食品企業/医療機器偉業/調剤機器・システム企業/服薬管理システム企業/レセプトコンピュータ企業/店舗改装関連企業/介護食品企業/介護用品&介護サービス関連企業/化粧品企業/在宅支援連絡所など

<創刊6号(2014年6月20日)の内容>
*機能性表示が解禁へ医療機関でのサプリメント販売可能も明確化
*調剤薬局店頭での販売・普及に追い風!
SPECIAL INTERVIEW 
 田村憲久厚生労働大臣に聞く
 『予防・健康管理情報拠点としての薬局・薬剤師への期待』上
 日本生活習慣病予防協会理事長 池田義雄医師に聞く
 『糖尿病の早期発見・早期受診勧奨と薬剤師の役割』下

*特集:夏の肌対策(INTERVIEW:東京農工大学大学院農学研究院教授
 松田浩珍農学博士に聞く『アトピー性皮膚炎発症の要因と対策』/夏の肌対応商品:ルテイン/ヒアルロン酸/デリケートハイジーンソープ/ナノフィルム採用の化粧パックと化粧水

*話題の機能性成分:日本抗加齢医学会でタヒボの生理活性と有効成分を発表/ホルミシス効果で痛みを改善するイオンディスク温熱パック/クリニックや薬局で水素水の取り扱いが急増するパテントナビ、H2バブルサーバー
*REPORT:機能性性表示制度で店頭での健康食品に追い風―日本チェーンドラッグストア協会宗像守事務総長が語る
*連載:薬局・薬店支援プログラム「パーシャル会
加盟店訪問取扱商品数や欠品の少なさが魅力・・・東京都新宿区・ヒカリ薬局/『医薬品とサプリメントの相互作用』第3回―サプリメントと薬のいい関係・・・医薬情報研究所株式会社エス・アイシー医薬情報部門責任者 堀美智子/『全国実力薬局100選の普及活動』第7回 アトピージプシーの受け皿となる有力薬局/HIT(在宅輸液療法)最前線レポート7 「豪雪地でもどこでも、いつでも自宅で療養する患者さん宅を訪問します」―大館市 タカハシ薬局のケース/
『在宅医療への参画とクリーンルーム導入のすすめ』6 国が進める在宅医療と支援薬局が求められる背景と機能
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